神が最初に選んだのは右脳でした。それはとても平和だし、満たされた状態であったのですが、あるとき左脳もプレゼントしてくれたのです。
それとも、左脳こそがアダムとイブが掟を破って知恵の実を食べてしまったことへの罰だったのでしょうか?
とにもかくにも、左脳によって分離という幻想が生まれたのです。モノという単位でこの世界を見ることが始まってしまったのです。
その結果、自分自身も一つのモノとしてこの世界から分離した存在であると思い込むことになってしまったわけです。
大地にしっかりと根を張っていた大木が、根こそぎにされたのと同じになってしまったのです。その宙ぶらりんをイメージしたら、どれほど不安なことか?
それが個人としての私たちが置かれている状況なのです。世界から隔離されてしまったという誤解は、強烈な不安と孤独を作り出したのです。
根こそぎにされた人類は、かつて繋がっていた大元の根っこを探す旅を始めたのです。それが人生というわけです。
そして心からの安心を求めて拠り所となる根っこを見つけようとして、外側の世界からあれこれを手に入れようと頑張るのですが、根っこの代わりになるものは決して見つからないのです。
そしてはたと気づく時がやってきます。本当に欲しいものは内側にあった。一度もその根っこを失ったことなどなかったんだと。
自分の意識を左脳から右脳へと移すだけで、今までどこを探しても見つけることができなかったものが、実はずっとずっとここにあったと気づくのです。
これこそが、この先人類が辿る道なのではないかと自分勝手に思っています。