下記のoshoの言葉を味わってみてください。
『大部分の人はその人自身ではない
彼らは生きているのではなく
他の人々から与えられた役割を演じているにすぎない
彼らの考えは誰か他の人の意見であり
彼らの顔はただの仮面にすぎない
彼らには顔がないのだ
彼らにはまったく真正な実存というものがない
その生はまねごと
その情感は引用だ』
こんなことを言われて、ハイそうですかとはなかなかならないと思います。だって、自分の顔は自分だけのものだし、仮に似ている人がいても同じではないのです。
私たちは、自分の個性を大切にして生きていこうとどこかで決意したはずだし、自分独自の意見を持っていると感じることもあります。
それなのに、osho はそれを真っ向から否定しているわけです。自分が好きな曲、好きな歌、好きな俳優さんや映画は、誰かにそれを強いられたわけではないはずです。
自分が大切にしている信条だったり、人知れず凝っている趣味だってあるのです。自分の生が真似事だと言われても、納得できません。
けれども、自我として生きているのなら、やはりoshoの言うことは正しいと言わざるを得ないのです。
というのも、自我に本当の個性なんてものはないのです。自我の本性は他人との関係性によって作られたものなので、独自性などないに等しいのです。
自我の個性など、うわべだけのものだということを理解しておくことです。逆に言えば、覚醒して自我が消失した後に、本当の個性が発現するのでしょうね。