時間は左脳の作り物

時間という概念は、私たちの左脳の中にのみ存在するのであって、その一方で右脳の中には時間は存在しないのです。

事象が変化するとき、その変化は時間の中で起きるとも言えますね。逆に言えば、変化するものが何もなければ、そこに時間は存在し得ないのです。

もう少し違った表現をするなら、私たち自我にとっては確かに時間は存在します。なぜなら、自分を含めた物語という現象が起きるのに時間が必要だからです。

けれども、右脳の世界のような全体として見る視点からすると、その見る側には個別のどんなものも存在しないので、時間が介入してくる余地がないのです。

oshoはいつも講話の時に、高級そうな腕時計をしていました。写真か動画で見た覚えがありますが、たまに時計を見て経過時間を確認していたようです。

右脳が優位になってしまうと、時間の経過する感覚がなくなってしまうので、時々時計を見なければ今の時刻が皆目分からなくなってしまっていたのでしょうね。

時間がないということを無理にイメージしようとして、時間が止まって事象の変化がなくなってしまった様子を思い描く人もいるようですが、それは違います。

事象は常に起き続けているのですが、それを時間的な推移として捉えるのか、あるいは今この瞬間が永遠に続いていると見るのかの違いなのです。

この感覚を左脳で捉えようとしても無理があると思います。左脳の働きから時間を奪ってしまったら、左脳の重要な機能であるイメージ能力も消えてしまいます。

空想には時間的広がりが必須だからです。一方の時間のないところにいる右脳にとっては、実在する世界だけが全てなのですね。