世界は、どこにも保存されていない

目の前の景色は、見ていない間も存在し続けている。私たちは、そう信じています。けれども、今ここで直接確かめられるのは、今現れている景色だけです。

昨日の景色は記憶として、明日の景色は想像として現れます。過去も未来も、経験されるときには、いつも「今」の中に現れています。

それでも私たちは、見ていない間にも世界がどこかに存在し、それが連続していると考えます。もっと一般化して表現することもできます。

自分が生まれる前からこの世界は存在していて、生まれてからはこの世界の中で生き続けるわけです。そして、自分が死んだ後もまったく同じようにしてこの世界は続いていくのだと。

もちろん、そう考えることは自然です。ただ、その連続性を今ここで直接見つけることはできるでしょうか。

見つかるのは、景色や記憶や思考です。そして、それらを眺めている「自分」がいる、という感覚もまた、今ここに現れています。

世界があり、それを自分が見ている。その構図そのものもまた、疑いなく確かな事実というより、思考が描いている世界の捉え方なのだとも言えるのです。

ただ、世界と、それを見ている自分という二つのものが、最初から別々に存在しているという前提を、いったん手放してみることです。

そこには、何かがどこかに保存されているという考えさえ必要ない、ただ現れているという不思議さがあるだけなのですね。

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