人の期待に応えようとするのもほどほどに

私たちの心の中には、幼い頃から人の期待に応えてあげたいというやさしい気持ちが備わっていますね。誰に教わったわけでもないのに、良心というものがあるのと同じです。

良心のかけらもないような極悪非道な人や、決して誰かの期待に応えようとしないエゴ丸出しの人もいるかもしれません。

けれども、そのように見える人であっても、その奥にはごく普通の私たちと同じように良心も期待に応えようとするところも隠し持っているはずです。

幼い子供は、身近にいる母親に笑って欲しくて、母親が喜ぶようなことをわざわざしたりするものです。それが、次第に母親の期待に沿うようなルールをこしらえるようになるのです。

先日ロバート・デニーロが父親役を演じる映画を観たのですが、4人の子供たちが揃って彼の期待に応えようとしてそれぞれの人生を苦しいものにしているのです。

そればかりか、成人した子供たちは期待に応えられないと分かると、ウソをついてまで父親を落胆させないようにするようにもなってしまうのです。

そのうち、子供たちは誰も父親と話しをしなくなるのですが、父親はなぜそうなるのかを理解することができないのです。

子供たちが独立した後、一番ストレスの強かった子供が薬物の摂取によって死んでしまうのですが、そんなことも子供たち同志で相談しないと父親に伝えられないのです。

結局、そのことを父親は子供たちから知らされるのですが、彼はそれを受け入れられないのです。そんなはずはないの一点張りなのです。

こうした父親の心の弱さを、子供たちは幼い頃から察知していたのでしょうね。だからこそ、父親を悲しませることがとても大きな罪悪感になってしまったのだと思います。

もしも、あなたが誰かの期待を裏切ってしまっていると感じているなら、それから生じる自己嫌悪や罪悪感を徹底的に感じきることです。

それさえ逃げずにできるなら、もう怖いものはありません。そうなって初めて、自分はこれでいいということが分かるはずです。

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