自我が毎日やり続けていること、それは自分の世界を創造するということです。世界といっても人生といってもいいです。
あなたの自我があなたの世界、あなたの人生を創造しているし、私の自我が私の世界、私の人生を日々創造しているということ。
覚醒してしまった人だけが、彼の世界、彼の人生を創造することをやめてしまうのです。彼は、人生のないただ起きている現象の中で生きるのです。
どうやれば、このことを本当に理解することができるのか?そのためには、自我とは思考の塊だということを思い出すことです。
思考こそが世界、人生を創造しているものなのです。思考が起きている現象を逐一解説し続けているのです。
その解説によって、あたかも連続的な人生がそこにあるかのように思えるわけです。
食べるということが起きる時、自我は思考によって「私が食べる」と解釈するのです。
歩くということが起きている時、「私が歩いている」と解釈するのです。そして私たちはその解釈の結果だけを頼りに生きているのです。
かつてブッダが、「行為はあるが行為者はいない」と言ったのはまさにこのことですね。
すべてはただ起きることが起きていると見抜ければ、自我は人生を創造することをやめてしまい、自我そのものが消えていくことになるのですね。