注意をどこに向けるのかが大切

今日もシンプルに…

瞑想的に生きるとは

意識的に生きるということ

意識的とは

自分に意識を向けている状態を

保つこと

自分を真に成長させるには

それ以外ないのです!

以上

なにとも同化しない純粋な自己

一日の終わりにゆったりとくつろいで、自分が今日体験したことを思い出そうとすると、どうしても自分の身体がどのような行動をしたのかを見てしまいます。

これこそが、自分を身体と同化している証拠なのですね。そして、もう少し自分の内面に焦点を絞って思い出そうとすれば、今度は自分をマインドと同化していることに気づきます。

さて、もっとよ~く思い出そうとすると、そこには身体やマインドと同化している自分を見ている自己が在るということにも気づくことができます。

その自己が、時間の経過とは無縁の存在であることは、今この瞬間にもまったく同じくして在ることに気づくことで明らかとなるのです。

これこそが、私たちの本質である、純粋な意識なのですね。

いつもの堂々巡り

今日もシンプルに…

心静かに沈黙していると

言葉はいらないというのがやってくる

でも言葉がなければ伝えられない

いや、伝えることなど一つもない

でも伝えたいんだから…

これ、いつもやってる堂々巡り

以上

私の意見→ただ意見が在る

今日もシンプルに…

自分の考え

あなたの気持ち

私の意見

彼女のドレス

「誰かの○○」の「誰かの」をやめてみる!

すると、そこにはただあるがままの世界が

広がっていることに気づく

以上

どんな体験も楽しめる!

今日もシンプルに…

どんな体験であろうと

ただ見て、逃げずにいれば

そこには必ず

楽しみと言える要素が

隠されていると気づくはず!

以上

自由に生きよう!

今日もシンプルに…

あなたが思っているほど

人はあなたのことを見ていません

誰もが自分のことで精一杯なので…

だから人の目を気にすることなく

自由に生きることですね!

以上

「自己主張してはいけない」という防衛

セッションをしていて、なかなか難しいなと感じることがあるのですが、その中でも自己表現、自己主張をしてはいけないという自己防衛に乗っ取られているクライアントさんの場合は特に困ったなと感じるのです。

セラピストができることなど、本当にたかが知れているわけで、クライアントさんが本音を言ってくれるようにできるだけ促すのですが、それがほとんど通用しない。

なぜなら、「自己表現してはいけない」が鉄壁のガードをするからです。たとえば、右と言うと、そのすぐ後に左だと言うのです。そうやって、自己表現をどっちつかずの状態へと持っていくのです。

結局、自己表現するべきなにものも自分は持っていない、ということを伝えようとしているかのようなのです。だから、一つも真意が伝わらないのです。

このような場合、類推する以外に手立てはないのですが、きっと幼い頃に自分の言いたいことを言うと、親から期待とは裏腹の反応をされて、痛い思いをしたのでしょう。

それが度重なることで、自分独自の意見というものはないのだというようにして、安心しようとしたのでしょうね。そういう場合、何かを話そうとすると、検閲システムが発動するのです。

検閲システムによって、その言葉を発したならどのようなことになるのかをプリチェックするのです。だから、ご本人は常に言葉を濁したような感覚で生きることになるのです。

結果として、人と一緒にいるとしんどいという状態になり、人間関係を疎ましく思うようになるのでしょう。こうなると、普通のセラピーではどうしようもありません。

自然と感情のままにいるという体験ができるような、そんな瞑想などをするのが適切かもしれません。osho のダイナミック瞑想は、そんな人にはとても適していると思います。