幸不幸の理由を脇に置く

今日もシンプルに…

○○だから幸福だと思うなら

その○○を脇へ置いてみて下さい

また、××だから不幸だと思うなら

その××も脇へ置いてみて下さい

それで残ったもの

それがあなたの本質

つまり、至福なのです

以上

○○という気づきはない

今日もシンプルに…

私は居るという思いはあっても

私は居るという気づきはない

それと同じく、本来

私はいないという気づきもない

ただ気づきだけが在る

以上

どっちが自然?

今日もシンプルに…

この世界に

自分がいるのと、いないのとで

どちらが自然だろうと思って

自分がいない世界に思いを馳せてみたら

唐突にそれはやってきたのです

この私はいなかったってね!

以上

子供はペットではない!

親の一方的な愛情は、子供にとっては、人格否定になってしまうことがあります。というのも、そういう親の偽りの愛は、言ってみれば飼い主とペットの関係のようなものだからです。

親は自分にとって都合のいい子供の状態だけを可愛がり、飼い主の手に噛みつくペットを叱りつけて、徹底的にコントロールしようとするのです。

子供の方はと言えば、そのマインドによって親からの愛情を理解し、自分はこれほど愛されているのだと頭で判断することになるのです。

けれども、その一方ではハートでどうしようもない愛の欠如を感じてしまうのです。その矛盾が本当はどういうことなのかに気づくことができずに、もだえ苦しむことになるのです。

愛されていることに対する親への感謝と同時に、自分のままではダメなのだという決定的な絶望感に苛まれるのです。それも人知れずに…。

そんなクライアントさんがいらっしゃると、本当は親に愛されていなかったということを納得してもらうのに、相当な時間と労力を必要とします。

けれども、いずれは真実を発見することになるのです。それは、とても苦しい認めがたい事実ですが、それを認めることによってしか、癒しを進めて行くことができないのです。

実は、親自身がそのように育てられたという事実を知れば、納得しやすいのかもしれません。愛は、その対象がどれほど幼い子供であっても、その存在に対する尊重があるのです。

存在の尊厳への感覚、それが欠如した愛情は偽物であり、子供はそのような愛を受け取ることはできないということですね。

自分は親に愛されていたと思っているあなた、それがマインドでの理解なのか、ハートによって感じていることなのか、よく見分けて見ることですね。

誰も信頼できない

今日もシンプルに…

さまざまなところで

さまざまなセッションを受けても

癒しを実感できないとしたら

もっとも身近なところで

自分自身にうそをついているからに

他なりません

結果として誰のことも信頼できないとしたら

それもまったく同じ理由だと気づくことです

以上

「大したことない!」で済まさない

今日もシンプルに…

自己防衛の中でも、とりわけ超強力なものを発見。

それは、何があったとしても

「大したことない!」で済ますこと

やってる自覚があったら、要注意ですよ!!

以上

ただ在ることに気づく

今日もシンプルに…

あなたはどこへ行こうというのだろうか?

あなたは日本にも、ハワイにも、地球上にもいない

本当のあなたは、あなたの内側の奥深くの中心に在る

それは場所ではない

あなたがどこへ行こうと

ただ在ることに気づいていればいい

以上

自己防衛の大きさ

自己防衛の大きさは、そのままエゴの大きさを表していると言っても過言ではありません。そのため、癒していくと、防衛が 大→中→小 のように変化していくのです。

例えば、自己防衛が大の場合の一つの事例をあげると、

大: 他人を優先する。「ノー!」が言えない。→ 自己犠牲を溜める → 怒りを溜める
生きる原動力は恐怖であり、思考に巻き込まれる。

↓ 癒しによって、防衛が中になると、

中: 自分を優先できる。「ノー!」が言える。やってくる恐怖や罪悪感から逃げない。
怒りを溜めないようになり、思考が緩んでくる。

↓ 更なる癒しによって、防衛が小になると、

小: そうしたいので他人を優先する。生きる原動力は愛であり、思考を使う側になる。
意識的な人生になる。

 

あなたが今どこにいるか、検証してみることも役に立つと思います。