今日もシンプルに…
もしもあなたが、誰かに否定されたとしたら
それはあなたの問題ではありません
その人は、あなたを否定することで
自分を肯定したかったのです
その理由はその人が
否定的で惨めな自己イメージを隠し持っていて
それを払拭したかったからです
このことを忘れないことですね!
以上
今日もシンプルに…
もしもあなたが、誰かに否定されたとしたら
それはあなたの問題ではありません
その人は、あなたを否定することで
自分を肯定したかったのです
その理由はその人が
否定的で惨めな自己イメージを隠し持っていて
それを払拭したかったからです
このことを忘れないことですね!
以上
私たちは、とかく欲しい欲しい、足りない足りない、そう思って生きています。あれが手に入ったらいいのに、あれを実現できたら、きっと満たされるはず、等々。
そして、幸運にもそれが手に入ったとしても、すぐにそれが普通のことになってしまい、また新しい欲望がムクムクと湧いてきてしまうのです。
欲しいものが手に入らないという渇望、それを人は不満ととらえてしまうのですが、その不満感の中に真っ直ぐ入っていくとどうなるのでしょうか?
実は、不満足の中をじっくりと覗いて見てみると、そこには何とも言えないある種の深~い味わいのようなものがあることに気づくはずです。
以前、悲しみをとことん感じてあげると、そこに奥深い何かがあることに気づくということを書いたことがありますが、それと同じなのでしょう。
欲しいものを探しまわるのも「アリ」ですが、時々はその手を休めて、その渇望を存分に味わってみるのです。不思議なことに、そこには言葉では表現できない満たされた何かがあるのです。
是非一度は体験してみることをお勧めします!
最近、元気ではあるのですが、ちょっと夏バテ気味な感じがしてどうしようかと思っていたのですが、そういえば今年に入ってからほぼ肉を食べていないことを思い出したのです。
何となく身体がだるいのは、加齢のせいなのか、はたまたこの暑さのせいなのか、とにかく何とかしてこの状態を乗り切ろうと思い、肉を食べよう!と思い立ったのです。
そして、先日久しぶりに四足動物の肉を食べたところ、美味しくいただけたのですが、薄っすらと獣臭のような匂いがしたので驚きました。
気のせいかとも思ったのですが、やはりそれは明らかに獣の匂いでした。口が肉に慣れていないだけで、こんなにも印象が変わるのですね。
でもこの数日で、それもあっという間に消えてしまいました。そうです、もう慣れてしまったようで。自分の身体が慣れを用いて、柔軟に対応することに、驚きを感じました。
「慣れ」はきっとエゴのものなのでしょう。便利ではあるのですが、その「慣れ」によってさまざまな大切な感性が台無しにされていることもあるのかもしれませんよ。
もしもあなたのご両親が、互いに対等な関係性を持っていたとしたなら、あなた自身も人と対等な人間関係を自然と作るようになるでしょうね。
幼い頃の経験というものが、その後の人生の基本として活躍するからです。ということは、あなたのご両親が対等ではない関係にあったとしたらどうでしょう?
父親が母親を見下していたり、あるいはその逆に母親が父親よりも上の立場にあったなら、いずれにしてもあなたも結局は対等な人間関係を築けなくなるのです。
仮に父親が母親をコントロールしていたとしたら、その母親はあなたを何等かの方法でコントロールするようになるはずです。人はされたことを仕返すからです。
コントロールされた人は、瞬時にコントローラーへと変貌することができます。なぜなら、その両者は同じエネルギーだからです。
表面的には対極にあるように見えても、エネルギーは一緒なのですね。そのようにして、あなたが母親からコントロールされたなら、今度はあなたは年下の兄弟をコントロールするのです。
そうやって、不平等な関係性がどんどんと世代を超えて伝搬してしまうということです。誰かが、それを止めなければ無限に続いていくことになってしまいます。
対等な人間関係を作るには、互いに受け止め合うという実践が必要なのです。相手の存在を尊重し、気持ちを受け止めることができたなら、相手もきっとあなたに同じことをしてくるはずです。
その時に初めて対等な関係性を持つことができるのです。その時、あなたも相手も互いの存在そのものを意識するようになるということです。
今日もシンプルに…
今回の人生のスタート地点まで癒しを進めると
その下に埋もれていた過去世たちの訴えが
見えて来るのです
せっかくですから、人助けだと思って
それらもまとめて癒してあげることです
きっとありがたいプレゼントをいただけるはずです!
以上
今日もシンプルに…
自分がどこにいるかを知っている人に出会ったことがありません
あなたにしても、あなたの身体がどこにあるかは知っているでしょう
けれども、自分自身がどこにいるのかについては、分からないはずです
それなのに、そんな基本中の基本のことも分からずに
身体の死が訪れるまで、日夜人生と闘っているなんて
人間て、本当に不思議な存在だと思いませんか?
以上
今日もシンプルに…
私がいるという「つもり」から人生が始まる
その後は、すべての体験に対して
私が体験しているという「つもり」になる
そうやって、初めに作った「つもり」が益々膨張して
現在のあなたという人格ができたという、「つもり」になるのだ
最近では、私はいないという「つもり」になっている人もいたりして…
以上
今日もシンプルに…
物質が存在するための背景として
空間が必要なのは自明です
では、空間が存在するための背景は?
それが源泉、純粋な意識なのです
以上
今日は誤解を恐れずに、言いたいことを書いてみます。それは、表面的には加害者と被害者がいるように見えても、その両者は実は同じようなエネルギーであるということ。
エネルギーが同じか近いからこそ、両者は絡むことになったのです。ただし、当然のことながら加害者はこの社会から裁かれることになるし、被害者はそれなりにサポートされる必要があるのですが。
例えば、悪徳商法に引っかかった消費者は確かに被害者ではあるのですが、そうした悪意に満ちた商法を行う側の人たちのエネルギーと似ているということ。
エネルギーというのは、いい人とか悪い人ということとは一切何の関係もありません。そういう表面的なことではなく、その人の内面に蓄積されたマイナスのパワーのことなのです。
本人すら自覚できないうちに、特に幼い頃に溜めてしまったネガティブな感情のエネルギーこそが、そのパワーの源なわけです。
本当に愛される人とは、本当の愛のエネルギーを持っている人だし、裁かれる人とは、裁く人のエネルギーと同じエネルギーを持っているということ。
つまり、この世界においては、する事とされる事とは同じエネルギーだということですね。きっと腑に落ちないと思われるかもしれませんが…。
<存在>は、加害者とか被害者という見方を持っていないのですから。ただ、そこにある似た者同士のエネルギーが互いに絡み合うという現象が起こるだけなのです。
今日もシンプルに…
もしもあなたが、自分の正しさというものを
拠り所にして生きているのなら
面白味のない人生になってしまうはずです
正しさを積み重ねたその先に幸福が待っていると
信じているなら、それは間違いです
死ぬ前に後悔することのダントツ一位は
「もっと自由にやりたいことをやっておけばよかった」なのです
子供の頃に条件付けされた罪悪感に負けずに
もっと自分を解放するように生きること!
以上