決断せずに、決まっていくに任せる

何かを決断しなければならない時というのは、必ずやってくるものですね。私の場合は、どうも即決というのか、ほとんど深く考察もせずに決めてしまうという傾向が強いようなのです。

かなり高額のものを購入するというときでも、そこそこ迷っているふりはするものの、実はすでに心づもりができていて、結局は最初に決めたようになるのです。

つまり、決断するのにあまり頭を使いたくないということなのでしょうね。だから、決断するのになかなか決まらずに悩むということの経験が本当に少ないのです。

もしかしたら、本当のところ決断などしたことがないのかもしれません。ただなんとなく、決まっていくに任せているということなのかもしれません。

ところが、最近セッションルームをもう少し広くしたいと思い立って、あれこれ検討してみたものの、選択肢ばかりが増えてしまって、一向に決める気配がないのです。

こんなことは人生の記憶の中でも本当に初めてと言ってもいいくらい、珍しい状態に陥っているのです。で、気が付いたのですが、本当はこのままでいいと思っているのかもしれません。

優柔不断というのか、勝手に決まっていくに任せるいつもの方法にそろそろ戻ろうと思っています。決断ができないその位置にいつまでもいたいのかもしれません。

いずれにしても、愛を持って放っておくやり方に戻すことで、きっとどこかで決まっていくことになるのでしょうね。人生とは本当に不思議なものです。

怒りを楽しむ

突然ですが、あなたは怒りを楽しんでいますか?

怒りという感情に対して、強く敵対視してしまうと、それをあるがままに感じることが難しくなってしまいます。そうなる理由も様々あるのでしょう。

例えば、幼いころに親にひどく激怒をぶつけられて、自分は絶対あんな人間にはならない!と決意したりすると、怒りを悪者として扱うようになるのです。

けれども、怒りそのものは恐怖や悲しみなどと同じ、単なる感情のうちの一つに過ぎません。怒りを感じることはごく普通の当り前のことなのです。

怒りを否定的な目で見ることをやめると、怒りという感情を楽しむことすらできるようになります。怒ることは、一つのレジャーのようなものになるのです。

本当は大して怒ってもないのに、怒っているようにして密かに楽しむということもできます。そのような怒り方をしても、いやな気持ちになることもありません。

もっともっと怒りをふつうのものとして見ることです。そうしたら、わざわざ怒りを相手にぶつけることもなくなって、ただ怒りの風味を楽しむ余裕すら持てるようになるのです。

悲しみをしっかり味わうと、何とも言えない深みのようなものがあることに気づくのと同じなのです。どんなものであれ、敵対視をやめると、何かがフワッと変わり出します。

何も無さだけが在る

今日もシンプルに…

あなたの肉体の眼は常に外側へ向いていますね

その向きをひっくり返して、外側を見ている自分をみて下さい

そこに何が在るか、自己イメージ通りのあなたがいるか検証して下さい

できるだけ正直に、その結果を受け容れることです

自己イメージはおろか、そこには何も無さだけが在ると分かるはずです

以上

自己イメージを洗い流す

今日もシンプルに…

人生で最も大切な事

それはどんな自己イメージであれ

それは自分ではないと気づくこと

それが深くまで到達するとき

あなたは自己の本質と対面することになる

以上

原体験を紐解く

水が高いところから低いところへと流れて行くとき、その水の先頭の部分を見つめていると、あたかもより低い場所を意志を持って探しながら、最短コースを進んで行くように感じることができますね。

けれども、水がそのような意志を持っているわけではないことは、誰もが知っています。それが法則というものです。それと同じように、エネルギーの法則というものがあります。

それは、エネルギーはそれ自体と似たようなエネルギーを惹きつけるか、自ら近づいていくということです。互いに引き合うと言ってもいいかもしれません。

とにかく、「エネルギーは友を呼ぶ」ということです。勿論エネルギーにそうした意志があるわけではないのですが、備え持った法則がそのように動作をさせるということです。

沢山のセッションを通じて分かったことですが、エネルギーのそうした法則には例外はないということです。本当に不思議なことだと感じます。

もしも、あなたが何等かの人生のパターンと感じるようなものに翻弄されているとするなら、それには確実に原体験と呼ばれるものがあるはずなのです。

人生で一番初めに体験したものです。その時のエネルギーがその次の体験を引き起こし、更にそれがまた次なる類似の体験を引き起こすことで、それがパターン化していくのです。

そのパターンは努力で変えることはできません。癒しが必要なのです。心当たりがあるという方は、セラピストのセッションを受けることをお勧めします。

怒りと怒りを感じることへの罪悪感

今日も短めに…

幼い子供が、自分の額を壁などの固いところにガンガン打ち付けている姿を見たとしたら、

あなたならそこから何を感じ取るでしょうか?

私は、その子の中にある、まかないきれない大きな心の葛藤を感じます。

打ち付けるのは、怒りの表現であると同時に、

そのような怒りを感じる自分を罰しているのだと。

そんな張り裂けそうな幼い子供の苦しみが、

いつか癒されることを願わずにはいられません。

以上

あなたが満ち足りるとき

今日もシンプルに…

あなたのエゴは、不平不満のない満ち足りた人生を目指しているように見せかけて、

実は決してそこには到達しないようにして、あなたを騙し続けているのです。

その理由は、いたって簡単!

あなたが満ち足りるときは、エゴが消滅してしまうときだからです。

それをしっかりと見抜くことですね。

以上

真理を語るには沈黙しかない

真理についてのどんな言葉も、真理についての表現でしかなく、真理そのものではないという単純な事実を忘れてはいけません。

非二元性(ノンデュアリティ)が真理の代名詞のように語られていますが、それはこの世界が二元性でできているという主張と同程度に正しいに過ぎません。

人間には自由意志というものはなく、すべてはただ起きているだけだというのも、真理について言っているだけなのです。

言葉とは、真理について語ることができるだけで、真理そのものではないということです。それは、月を指さす指が月そのものではないことと同じです。

真理とは、沈黙だけが…!

シンプルな実験 その2

今日もシンプルな実験を一つ…

実験に入る前に、次の二つの事実の違いに気づいているようにして下さい。

その花が綺麗ということと、その花が綺麗だと思っていることの違い。

あるいは、あなたを愛しているということと、あなたを愛していると思っていることの違い。

油断すると、思考はあらゆる事柄に入り込んでくることに気づくことです。

どんなすき間にも侵入してくる思考と、それを見ている意識があることに気づくのです。

その上で実験です。気楽に試して下さいね。

「私」という思考が

決して到達し得ない空間に

意識を向けてみる

戻ってきたときに、「私」が置き去りになっていたことに気づけるかもしれません。

以上