バルドの言葉

バルドの言葉 ~死にゆく人へ~

『さあ、静かにしなさい。意識してこの生を離れなさい。
死によって生を奪われるのではなく、むしろ掴んでいる手を緩めなさい。
死に打ちのめされてはならない。闘ってはならない。
ただ、自分の執着をすべて捨てなさい。あなたにとって、この世は終わった。
この生涯は、あなたにとっては終わった。それにしがみついても意味はない。
それにしがみつけば、死を相手に闘うことになる。あなたに勝ち目はない。
しかも、ある非常に重要な可能性を見逃すことになる。
自分の中に起こって来ることすべてを、ただそのままに任せなさい。
くつろいで敵意など抱かずに、死を生の頂点として、自然な現象として受け入れなさい。
それは何一つ終わらせはしない。
意識を持ち続け、起こっていることを見ていなさい。
肉体が、ますます自分から離れて行く様子を、あたかも鏡が倒れて
粉々に砕けて行くように、マインドが剥がれ落ち、バラバラになって行くさまを、
自分の感情、自分の情感、気分、自分の生を形作っていたものすべてが、
消えゆくようすを見ていなさい』

輪廻の秘密

今日もシンプルに…

惨めさのエネルギーの伝搬、

それこそが輪廻です。

それでも過去生を見たいなら、

勇気を持っていらして下さいね。

以上

人間という素晴らしい存在

今日もシンプルに…

私たち人間とは、何と素晴らしい存在なのだろう!

動物は、何をどうしようと動物のままだし、

神がいるなら、神だって神のままでしかない。

けれども、我々人間だけが、動物以下にもなれるし、神にもなれる。

その幅を持っている存在は、人間に限られるのだから。

以上

実験してみて下さい

今日はシンプルな実験を一つ…

マインドを静かにして、その内奥へと進めて行った時、

そうした内面の作業を全部見ている存在があることに気づきます。

それが、「私」という自我です。

さて、その「私」を見ているのは何でしょう?

それは決して見られる客体になることはない、

純粋な主体として在る、あなたの本質です。

以上

「転移」について

人は誰もが、錯覚の中に自分自身の救いを見ているので、自分自身の錯覚を守ろうとするものです。そのために、その人は錯覚からその人を救おうとする人を、自分を攻撃してくる人だと信じるかもしれません。

そうなれば、その人は救おうとする人に対して、攻撃し返そうとするでしょうね。これが、クライアントさんとセラピストの関係において、時々起る現象なのです。

セラピストは、クライアントさんの自画像という、クライアントさんが最も大切にしている所有物を攻撃してくる人として見なされてしまうのです。

そして、その絵はクライアントさんがそれと知覚する通りに、クライアントさんの安心感になってきたので、セラピストは現実的に危険人物だとみなされてしまうかもしれません。

こうした心の在り様を一般的には投影と言うし、セッションにおいては「転移」と呼ばれたりします。

セラピストはクライアントさんにとって、本当は安心できる人物でなければならないのですが、転移が起きれば信頼関係は吹っ飛んでしまいます。

セラピストがクライアントさんに嫌われないように防衛するとしたら、それは論外ですが、一方で転移をしっかり見て、それをうまく扱えるようにならなければ、クライアントさんの癒しの機会が奪われてしまう可能性もあるということですね。

セラピストが直面することの中で、転移は最も難しい問題かもしれません。

意識が鍵だ!

by osho

意識は、あなたの生に異なる質をもたらす。意識をして、ものごとが変化し始める。途方もなく変化する。自分でそれらを変えるのではない。

まったくそうではない。意識的な人は何も変えようとしない。無意識な人は絶えず、すべてを変えようとする。しかし、これまで無意識な人が、ものごとを変化させたことはない。

意識的な人は、変化が起こることを見い出すだけだ。途方もない変化が起こることを。

変化をもたらすのは、努力ではなく意識だ。なぜ、それが意識を通して起こるのだろう?--意識はあなたを変えるからだ。あなたが変われば世界全体が変わる。

要点は、違う世の中を創造することではない。要点は、違うあなたを創造することだ。自分こそ自分の世界だ。だから、あなたが変われば世界が変わる。

あなたが変わらなければ、世界全体を変え続けても--何も変わらない。同じ世界を、何度でもあなたは作り出し続けるだろう。

あなたが自分の世界を創造する。あなたの世界が投影されるのは、あなたの中からだ。

たまにはボヤキが出ることも…

最近、瞑想をしようと思って静かにしていると、突然眩暈のようなものを感じて吐きそうになるので、気持ち悪くてまともに瞑想をすることができなくなってしまいました。トホホ…。

長い人生、こんなこともありますよね~。

そんなとき、根性でそれを克服しようという意気込みは、残念ながら私の中にはないようです。ですので、今は潔くさっさとあきらめて、寝ることにしています。

…というボヤキでした。

求めることをやめるとき

人から聞いたことだけで、心から納得するということはありませんね。どんなことであれ、実際にそれを体験してみないことには、本当には実感を持って知ることはできないからです。

だから、私が例えばどれほどお金持ちになったとしても、満たされることはないですよと言ったところで、そうかもしれないけれど経験してないので分からないと言われてしまうのです。

もっと一般的に言えば、この世界で何をどれほど手に入れたとしても、やっぱり永遠に満足するということはないのです。こうなると、それを全部網羅して体験することなど不可能なことです。

だからどこかで、類推することで気づく必要があるということですね。自分が体験したことで、それをベースにして想像すればどれも似たようなものだということが分かるはずなのです。

私は半世紀以上生きて来て、本当に何を手に入れたとしても、嬉しいのは一時だけで結局は次なるものを求めてしまう自分にいやというほど気づきました。

早く気づけば気づくほど、あなたは救われるチャンスが近いのです。なぜなら無駄な努力に時間を潰す必要がなくなるからですね。

人生はそれほど長くはありません。有り余るような時間など本当はないのです。だから、早めに気づいた方が有利なことに違いはありません。

いつ気づくか?今でしょう!

求めることをやめたとき、完全に満たされていることに気づくことになるのです。
なんという皮肉なことか…。

人生の醍醐味

今日もシンプルに…

人生の醍醐味とは

幼少期に作られた自己イメージをぶっ潰し

本来の自己に目覚めること

それ以外に救われる方法はないと気づくこと

以上

恐怖症の正体

世のなかには、無数の恐怖症の症状があります。たとえば、揺れるものがとにかく怖いと感じる症状、あるいは音が怖いと感じる人、極度の潔癖症などは、不潔を怖がる症状だと言えるのです。

なぜ数えきれないくらいの恐怖症があるかというと、本当のところ、怖がっている対象は何でもいいからなのです。恐怖症の目的は、怖がることそのものにあるからです。

ではなぜ、怖がる必要があるのかということですが、幼い頃から蓄積してしまった恐怖の感情を利用して、本人の人生を大変な事態に陥れることを画策しているからです。

その背後にある本当の目的は、そうした苦しんでいる人生を親に見せつけて、相手のせいにして鬱積した気持ちをぶつける代わりにしようとしているということです。

私はそれを「問題行動」と呼ぶことにしています。あらゆる問題行動のうちでも、上述した恐怖症というのは群を抜いて人生を破壊してしまいます。

もしも、何か心当たりがあるという場合には、セラピーを受けることをお勧めします。この問題行動は、心療内科などで処方してもらう薬などでは決して解決することはありません。

恐怖を感じるように強いているのは、他でもない自分自身だったと気づくことができた人は、そこから何かしらの癒しが始まるはずですね。