起きていることをただ受け容れる

昔々ある村に素晴らしい馬を飼っている爺さんがいました。村人たちは、爺さんがその馬を持っていることを、とても幸運なことだと言っていたのですが、爺さんはただその馬がいるだけだと言っていたのです。

その馬の噂を聞きつけた王様が、破格のお金でその馬を買い取りたいと言ってきた時、爺さんはきっぱりと断ったのでした。それを聞いた村人たちは何てバカなことをするんだと言いました。

そんな幸運なことを断るなんてと…。でも爺さんは別に幸運なことではないと、馬は大切な家族だからどれほど高額でも売るなんてできないと言ったのです。

そんなある日、その馬が突然逃げてしまったのです。それを見た村人は、ほら見たことか、王様の申し出を断ったから、こんな不運がやってきたのだと言いました。

けれども、爺さんは別にただ馬が逃げただけだからと言ったのです。ところが、数日して、その馬が他の野生の馬を10頭も連れて帰ってきたのです。

それを見た村人たちは、なんと幸運なことがあるんだと言ったのですが、爺さんはそれについてもただ馬が馬を連れて戻っただけだからと言ったのです。

野生の馬を馴らそうと、爺さんの息子が馬に乗って調教しているときに、落馬して足の骨を折ってしまったのですが、村人はそれを見てなんて不運なんだと言ったのです。

勿論その時も爺さんは、ただ息子が足の骨を折っただけだからと言ったのです。その頃、国が戦争を起こして、その村の若者もみんな徴兵されてしまったのですが、爺さんの息子だけは足を骨折してたために、戦争に行かずに済んだのです。

それを見た村びとたちは、口々に幸運なこともあるもんだと言ったのですが、爺さんはそのこともただそういう成り行きになっただけだと言ったのです。

そして、この話しはこのようにして延々と続くのです。もう分かりましたよね?何が起ころうと、それはただ起きているだけで、爺さんのように淡々と受け容れていることができるなら、この世界に憂うことなどないということです。

生きる権利

今日もシンプルに…

生きる権利とは

そのために誰も闘う必要がないというものである

それはその人に約束されていて

<存在>によって保障されているのである

だから安心していいよ~

<存在>は、あったかいんだから~ ♪

以上

ただ在るということ

今日もシンプルに…

あなたは何かを達成するためにここにいる

何であれ、その何かを達成するというまさにその考え方を捨てる事

もしもあなたがそれを完全に捨てたならば

あなたは悟りそのものになる

以上

この世を見る眼が偽りに満ちている

今日もシンプルに行きます。

「この世界は幻想だ」という人もいるが

それをもっと正確に表現するなら

あなたがこの世を見る眼が偽りに満ちている

それこそが幻想だということ

信念として持っている自己イメージこそが幻想であり

その仮面としての自己イメージを脱ぎ捨てない限りは

幻想の世界でフラフラしているようなものだということ

以上!

自己イメージを落とした後に残るもの

あなたの人生の中で、自己イメージを手放すことほど大切なことは他にありません。

なぜなら、幼い頃にでっち上げられた自己イメージを、まともに信じてしまったために、それがまるで真実であるかのようになってしまったからです。

自分という存在がナニモノなのかを知らずにこの社会で生きていくことはほとんど不可能です。だから、何であれ自分とはこういう存在なのだという自己イメージにしがみついてしまったのです。

それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ、自分のアイデンティティの土台となってくれるのなら、なんでもよかったのです。

それを信じ、信念のようにして社会の一員として生きていこうとしたわけです。

その自己イメージがどんなものであれ、100%でっち上げられた途方もないウソであることに心底気づき、間違った自分像から脱却するためには、それを手放した後に残るものこそが自分の本質だと気づくことです。

さて、もしもあなたがその自己イメージをすべて手放したとしたら、一体何が残ると思いますか?それをできるだけ正直に、誰の意見を聞くでもなく、素直に見てみることです。

徹底的に内側に入りこんで、見つけようとすることです。それがあなたの本当の姿に違いないからです。答えはあなた自身で見出すことですね。

それは理解でもなく、学ぶことでもありません。ただ体験を通してのみ知ることになるのです。

もっと注意深く在ること

今朝びっくりするような体験をしました。

クルマを運転している時に、歩道を歩いている人や自転車に乗っている人たち全員が、まるで眠りながら活動しているような感じがしたのです。

それは誰もが揃って、まるで夢遊病患者であるかのようでした。ああ、気づいていないってこういうことかって…。

その時、それは同じように自分についても言えることなんだと…。

もっともっともっと意識的であり続けねば、動物と同じになってしまうと…。

外を見ている自分を見、自分の思考を見、自分の身体を見、自分の気分を見て、あらゆる一切に気づいているように注意深くいること。

その時、思考はおのずとストップし、今この瞬間のみがあると知ることになるのですね。

沈黙すること

マインドはおしゃべりだ

そのおしゃべりが止まらない限り、自分が何かを知ることはできない

沈黙することだ。外側でも内側でも、おしゃべりをやめて沈黙していることだ

そのときに、初めて時間から抜け出すことができる

そのときに、ようやく自己を感じることになる

時間の中にいるのは、あなたのエゴ(影)に過ぎない

本当の自己との出会い!

誰もが幼い時に、親という歪んだ鏡が返してきた自分に対する印象を集め、蓄積していくのですが、そうやっておびただしい数の様々な印象によって、自己イメージを作り上げてしまうのです。

その自己イメージがいいものであろうと、悪いものであろうと、それを使ってアイデンティティを確立していこうとするのです。その結果、「私」という自我をでっち上げてしまうのです。

結局、私たちは自己イメージを自分自身と固く信じてしまったために、死ぬまで自分自身の本当の姿を知らずにいるということです。

比較的肯定的な自己イメージを沢山持っている人は、それなりに恵まれた人生を送れるかもしれませんし、逆に否定的な自己イメージが多ければ、苦労が絶えない人生になる可能性が高いのです。

けれども、どんな自己イメージであろうと、それが作り上げられたかりそめの自己像であるために、人は根本的な不安感を拭い去ることはできないのです。

自分が何かを知らずにいながら、不安や恐怖から解放された至福の中にいられるはずもありません。だから本当に気づかねばならないことは、自分とは一体なにか?ということです。

それには、自分の外側にある他人という歪んだ鏡を見ることをやめて、眼を閉じて自分の内側深くへと入っていくことです。そしていつかは本当の自己との出会いを果たすことが…。

できるといいなあ…

あなたこそが唯一の障害

あなたが本当に気づかねばならないこと、それはあなた以外、他にどんな障害もないということです。あなたが、自分の行く手に立ちふさがっている唯一の障害なのです。

このことを深く理解しない限り、内面的な成長に向かってできることは一つもないということです。ここで言うあなたとは、あなたの自我(エゴ)のことを指しているのです。

そのエゴとは一体何で、どのようにして生まれたのか?そして、そのメカニズムはどうなっているのか?ということを掘り下げて行くことが何よりも必要なことです。

セッションでは、機会がある限りそうしたことについて、クライアントさんがより深く理解できるようにお手伝いさせていただいています。

そのため、私のセッションは単にクライアントさんのお話しをお聴きするということだけに限らないのです。クライアントさんは、自分が抱えている問題が解決できればそれでいいと思っているものです。

けれども、そうした問題を解決していくためにも、ただ場当たり的にセッションをするのではなく、エゴやマインドへの理解を深めることによって、癒しの正しい方向に気づいていただくのです。

何かの問題が運よく解決したとしても、根本を押さえていなければ、またすぐに別の問題が浮上してきて、それはエンドレスになるはずだからです。

そして、癒しの究極の目的は、エゴとあなたの関係を逆転させることなのです。つまり、エゴがあなたの主人である現状から、あなたがエゴを利用する立場になることです。

エゴを配下にするということは、すなわちエゴは自然と落ちて行くということを意味します。なぜなら、エゴはそのような状態ではもたないからです。

エゴを置き去りにしたあなたこそが、あなたの本質であるということです。その時には、<存在>がもたらすまったく理由のない至福と共に在ることになるのですね。

意識と思考の混同

クライアントさんとお話ししていると、意識と思考がごちゃ混ぜになっていることに気づかされることがあります。本当は、天と地ほどの違いがあるのですが。

意識がどこまでも澄んで清らかな青空だとすると、思考はその青空を覆う雲のようなものだと捉えることができます。その違いは歴然としていますね。

ただ、幼い頃からずっと、厚く垂れ込めた雲ばかりをみていたら、清い青空のことを忘れてしまったとしても無理もないと分かります。

雲だって、そこそこ大きいですからね。でも、雲がどれほど大きかろうと、あの青空の無限大さとは比べようもありません。

あなたは思考ではありません。ただ、「私」という思考がその雲の奥深いところに作られてしまってからは、自分のことが分からなくなってしまったのです。

あなたの本質は、雲では決してありません。あの壮大な青空なのです。雲の中に潜んでいる「私」という思考を見抜くことができたら、そのことを思い出す日がやってくるのでしょうね。

けれども、思い出さなくても、あなたが青空であることに変わりはありませんし、あなたが青空でなくなったことは一度もないのですから。