癒されたい人、読んで下さい!

最近、セッションの中であるクライアントさん(女性)から、次のようなお話しを聞いていて、思わず感動して泣けてきました。

ご本人が子供の頃、まだ幼い弟にひどい仕打ちをしてしまったと後悔していたのだそうです。それで、大人になってから、弟さんに会って、そのことを謝罪しようとしたのだそうです。

その時に、弟さんが言った言葉ですが、「姉さんがお父さんからボコボコにされているのを見ていたので、僕は姉さんに殴られても、痛くなかったよ!」。

本当に酷い精神状態のご両親に育てられたのに、純粋な心は汚されることなく残っていたんですね。

もう、ホント言葉がありません。こっちが癒されるなあ…。

傷ついてもいい!の実践

セッションのときに、時々お伝えすることですが、朝目が醒めてすぐの時、まだ若干眠りに意識を引きずられているときに、次のように言うのです。

「今日一日、少しくらい傷ついてもいい!」と。そうやって、潜在意識の中に暗示を与えることにより、そうしないよりも無防備な一日を過ごすことができるようになるのです。

それは本当にすばらしい体験となるでしょうね。そして、あなたが傷つくときには、二つのケースがあることも憶えておいて下さい。

一つ目は、自分が直接的に他人から傷つけられる場合であり、二つ目はあなたが誰かを傷つけることによって、自分が傷つくという場合です。

二つ目は忘れられがちなので、よく覚えておくといいですね。傷ついて、傷ついて、その傷から逃げずに見ていることができるなら、その傷口は癒えて、つるっとした皮膚よりも丈夫になるのです。

そうした癒えた傷口は、子供の時のツルツルな肌よりも、より成熟した味わいのある肌を連想させませんか?さあ、明日の朝から実践してみて下さいね!

傷ついたあなたを否定するものなど、一人もいないということも憶えておいて欲しいと思います。

この世に実在しないもの

ありそうに見えて、実はこの世に実在しないものをあげてみることにします。勿論、今すぐに思いつくものだけですが…。

自我、 正しさ、 悪、 時間、 罪、 魂、 価値、 意味、 etc…

なぜか、私たちが結構こだわりを持っているものばかりが思い浮かびました。なかなか面白いものですね。こうしたものは、すべて思考の産物なのです。

思考は実在するのですが、その思考の中身は実在するとは限りません。つまり、思考を停止してしまった状態では、それらに何の意味もないということです。

もしも気が向いたら、あなたも是非試してみて下さい。この世界に実在しないものにこそ、執着を持っているということに気づくことになるかもしれませんよ。

愛を持って放っておくこと!

4月1日の朝に、不思議なことが起こりました。この数週間、ずっと何とも言えない変な気持ちが心の底にあって、でも何の理由もないのでそのままに放っておいたのです。

それが、その日の朝にクルマを運転しているときに、明確に「抜けた!」と分かったのです。それ以外にどのようにも表現できないので、伝わらないかもしれませんが…。

それから丸一日以上たった今も、その抜けた感は続いているので、きっと本当に通り過ぎたのだろうと思うのです。いろいろなことが起きて、それなりに滅入ったりもしたのですが、回復しました。

本当に不思議ですね。この世界はやはり一過性のものでできているのですね。だから、大丈夫。何が起きてもそれをそのままに愛を持って放っておけば、いずれは去っていくのですから。

逆に、それを何とかしようとしてもがいてしまえば、それだけ問題に巻き込まれてしまうということです。そして、いたずらに長引かせる結果となってしまうのです。だから、今日もシンプルに、

何か問題が起きたら、

心理的に何とかしようとせず

愛を持って放っておきましょう!

「親は絶対」という感覚

幼少期の頃からずっと、「親は絶対」という感覚とともに成長してきた人がいます。ご本人としては、あまりにも当たり前のことなので、別に特別なこととは感じていないことが多いのです。

勿論、社会人になったりして、多くの人との交流を経て、親が絶対的なものではないということを知識として知るようにはなるのですが、心の奥底には残ってしまうのです。

言葉を変えれば、それはある種の洗脳とも言えるのです。なぜなら、「親は絶対」という思いは自動的に出来上がるものではなく、親がそのようにコントロールした結果だからです。

そうした洗脳は、心の癒しの妨害となるのは明らかなことです。間違った信念が、その人の内面を歪めてしまうために、何等かの悪影響が出て来るのです。

親への絶対視は、そもそも存在はみんな同等なものであるという自然な感覚を阻害してしまうのです。つまり、他人に対して、見上げるか、その反対の見下すかしかできなくなるということです。

また、自分以外のものを絶対視するわけですから、それを自分の基軸としてしまうために、自分自身の背骨のようなものが育ちにくいという重大な欠点が出て来るのです。

それは常に心の底流に不安を沈殿させることになり、不安を安心に変えようとしてひどく自己防衛をし続けることにも繋がるのです。

親への絶対視があると、それが強ければそれだけ癒しは長くかかるということを示しています。もしも、そうした自覚があるのであれば、その部分をいつも見てあげて、それがどのように自分を支配しようとするのかに気づいていることです。

この世界に絶対的なものは、何ひとつ存在しないということも肝に据えることが大切ですね。

理由のないことが素晴らしい

私たちは、ふつう自分が具合が悪いと感じるとき、なぜ不健康なのだろうと考えますが、健康なときにはなぜ健康なのかとは考えないものですね。

それは健康であるということすら忘れてしまうからです。健康ということには、それほど気づかないのです。だから、健康であることの原因など考えもしないのです。

気分が悪いときには、その原因は何なのだろうと思うのですが、気分がいいときにはその原因などどうでもいいと思うのです。とにかく気分がよければ、それがすべてなのです。

つまり、自分にとって都合の悪い状態のときには、それを何とかしようとするために、その原因についても考えることになるのです。

そのようなことをずっと見ていた時に、本当に大切なことというのは自ずから備わっているものに違いないということに気づいたのです。

健康であるということに理由はないのです。健康はただ存在することの属性みたいなものであり、不健康だけがそこに何等かの理由があるのです。

もしもあなたの心が満たされていないとしたら、それには確実に理由があるのですが、満たされているとしたらそこにはどんな理由もありはしないのです。

つまり、あなたがただそこに在るのなら、満たされないということは決してあり得ないということです。あなたが至福を感じていることには、どんな理由も原因もないのです。

至福とはあなたの本質が自ら持っている特質だからです。あなたが至福を感じられないときにだけ、そこにはれっきとした原因があるということです。

それだけ、あなたが生まれながらに持っているものは、素晴らしいものだということですね!だから、それらを感じられないように邪魔をしているものを排除するだけでいいのです。

ただあなたが在るだけになれば、そこには至福があり、愛があり、健康があるということです。

無自己性

by osho

言葉が消えて初めてわかることだが、自己は境界なしでも存在できる。それはひとつの体験だ。論議によって証明するものではない。自分自身の中に入って、どこまでも沈黙してごらん — 境界もなく、言葉もなく、ただ純粋な在ること・・・。

にもかかわらず、あなたにはわかる - 「自分は在る」と。

知ることなく、口に出すことなく、あなたは体験する-「自分は在る」と。

この「在ること」は始まりの前からあった - もし始まりというものがあるならば。

それは今もあり、これからも永久にある。たとえ終わりというものがあっても、この「在ること」は終わらない。

そしてこの「在ること」は、あなたとは関係ない。この「在ること」は、あなたの所有物ではない。だからそれは自己ではない。

ブッダの説明はじつに的確だ。たぶん、彼ほど的確な人もいないだろう。彼はそれを自己ではなく、無自己と表現した。なぜなら自己と呼んだら、線や、境界や、領域を与えてしまうからだ。

その領域をこわすために、ブッダはそれを無自己と呼ぶ。そのせいもあって彼は長年、誤解されてきた。というのも、誰が無自己に到達したがるだろう。誰が無になりたがるだろう。

そしてこの無や無自己こそまさに、自己の存在の中心に到達したとき、あなたが成るものだ。この無自己性は不滅であり、この無自己性は純粋な喜び、原因のない至福だ。

全部言い換える その2

昨日の「全部言い換える」のアップデートバージョンをご紹介します。
これは、どんな言葉にでも使用可能ですので…。

私が考えている  →  私が考えている、という思考がある

私は空腹だ  →  私は空腹だ、という思考がある

私は頭が痛い   →  私は頭が痛い、という思考がある

私は嬉しい  →  私は嬉しい、という思考がある

もう気が付きましたね?言葉に出したとたんに、すべてが思考の中身だったということです。
思考はあるのですが、その中身は真実ではないということです。

全部言い換える

心の中に浮かんできた様々な言葉を、次のように言い換えるのです!

私が考えている  →  考えがある

私は空腹だ  →  空腹がある

私は頭が痛い   →  頭痛がある

私は嬉しい  →  嬉しさがある

もう気づきましたよね?そう、「私」は必要ないのだと…。
「私」がなくても、この世界は成り立っているという事実に気づくと、どんな気持ちになるでしょうか?
悲しくなるのか、気楽になるのか、どうなろうと大丈夫です。
なぜなら、あなたの中にそうした気持ちを感じている「私」はいないのですから。
ただその気持ちがあるだけです。

瞑想誘導 その2 by osho

by osho

力を抜いて・・・身をゆだねて、溶け去る
ちょうど氷が大海に溶けるように・・・
分離はすべてなくなる
あなたは<存在>とともに安らぐ
この<存在>との安らぎはどんどん成長していき
ついには 二十四時間継続する気づきとなるーー起きているときも眠っているときも・・・
花々があなたに降り注ぎ <存在>全体から祝福される
<存在>はいつも瞑想者の中で歓喜している
なぜなら瞑想者によって<存在>は その究極の表現 究極の美に到達するからだ
今この瞬間 あなたはブッダだーーあなたはいつもそうだった
覚えやすいように三つの段階にわけよう
第一段階は ブッダがあなたの影となって現れ あなたに従う
第二段階は あなたが影となってブッダに従う
そして第三段階は 影としてのあなたもブッダの中に消え去る
あなたはただ純粋な光に 覚醒になるーー無限で永遠だ
あなたはいつもそうだった ただ忘れていただけだ
想起するーーサマサティ