今日もシンプルに…
いろいろセッションをやってみて
本当に分かったことは…
結局、自己イメージが落ちて行く以外に
自己の本質に気づく以外に
救いはないということ
以上
今日もシンプルに…
いろいろセッションをやってみて
本当に分かったことは…
結局、自己イメージが落ちて行く以外に
自己の本質に気づく以外に
救いはないということ
以上
今日もシンプルに…
あまりにも上手に仮面をつけてしまうと
知らぬ間にそれが自分の顔のようになってしまい
仮面をはずすことができなくなってしまう
そうなったら、あなたのオリジナルが決死の抵抗を試みる
それは壮絶な人生を生み出すことになる
以上
自分としては珍しく、整形外科に行ってきました。かれこれ、1~2か月くらいの間、左の肘の外側の部分に痛みがあって、ちょっとした難儀を強いられていたからです。
で、診断は、「上腕骨外側上顆炎 (じょうわんこつがいそくじょうかえん)」という病名でした。俗に言う、テニス肘と呼ばれるものらしいですね。
ただ、私の場合はテニスはおろか、軽い水泳以外は何も運動らしきものをしてないので、一体なぜそんな病状が発生したのか、いまだに謎なのです。
放置しておいても、いずれ勝手に治るだろうと高を括っていたものの、いつになっても痛みがとれないばかりか、やや腫れてきたり、若干の痺れのようなものがやってきて、ようやく重い腰を動かして苦手な病院へ行ったのです。
長くかかる人だと、場合によっては6か月くらいかかることもあるそうで、なんだかなあ~という感じです。長く生きていると、いろいろなことがあるものですね。
起きてることにいいも悪いもないと、判断せずにただ淡々とを心がけるいい事例がやってきたのだなと思って、痛みの具合を見守ろうと思うのでした。
この社会においては、愛情深い親は子供に対して期待して当然だと思われているはずですね。子供に全くの期待もしないのなら、そんな親は愛のない卑劣な奴だというわけです。
一見正しいような気もしますが、実のところ本当の愛というのは相手に対してどんな期待も持たないはずです。なぜなら、今ある相手の存在に対してのみ愛が発動するからです。
期待というのは、それがどれほど素晴らしいものであろうと、100%未来に対するものなのです。したがって、期待するということは、それだけこの瞬間の相手の存在を見ていないということなのです。
それが分かれば、親に多大な期待をされてしまう子供が、如何にその圧力に喘ぎ苦しむことになるかが分かるというものです。
それは、今ある自分のままではいけないのだというメッセージをもらい続けることになってしまうのです。いくら親がそうではないと主張したところで、子供の側からすれば期待されることは苦しみしかありません。
期待と罪悪感はセットだからです。期待に応えられない自分に対して、必ずや罪悪感を感じることになってしまうからです。
どれほどの結果や成果を残したとしても、子供は決して満足することができません。なぜなら、もっともっと期待に応えなければならないという使命感に苛まれてしまうからです。
幼い頃に、親からの期待に潰されそうになっていたという自覚があるなら、期待を裏切ってやってくる罪悪感から逃げないようにすることです。
罪悪感を充分に味わってしまえば、期待に応えられないことなどどうでもいいことになるからです。そして、期待することは愛とは無縁であるということも忘れないことですね。
今日もシンプルに…
人生の生き方には次の二つしかない
やりたいことを思い切りやるか
自己イメージを向上させるために頑張るか
前者の原動力は愛であり
後者のそれは恐怖である
以上
一般的に、「執着を手放す」という言葉がありますね。執着を持ち続けていると、結果としていつまでも辛く苦しいままになってしまうからです。
だからと言って、「私は○○への執着を手放します!」のような宣言を何千回唱えたところで、手放すことには決してならないのです。
あなたがイメージしているような「手放し」など、あり得ないからです。もしも、あなたがそれを本当に手から離すとしたら、それは捨てることになるだけです。
いらなくなったゴミを手放すなどと表現する人はいませんね。それと同じこと、いらないものはあなたにとって価値のないものなので、ただ当り前のように捨てるだけなのです。
だから捨てるつもりのないものに対してのみ、あなたは手放す必要があるなどと言うわけです。その自己矛盾に気づくことです。
そうしたら、手放したくても手放せないなどとは言わなくなるはずです。もしもあなたが、誰かに対する怒りを捨てられずにいるとしたら、それがあなたにとって価値あるものだからです。
その怒りを捨てることになったとしたら、怒っているあなたの中の小さな人格は不要となり、消滅せざるを得ないのです。つまり、死ぬことを意味するのです。
だから、怒りを温存しておくことこそが、彼にとっては生き延びる唯一の方法だと思っているのです。それは執着などという言葉では、本当は表現できないくらいの切実な恐れなのです。
「いいよ、もう消えるからさ!」そう言わせるためには、彼の存在をしっかりと認めてあげて、ただあるがままを尊重してあげることですね。
今日もシンプルに…
人生における最大のトリックは
「私」という存在をでっち上げたこと
「私」がいない方が
断然自然だと気づいてみる
以上
今日もシンプルに…
マインド(自己イメージ)との同化を見抜くと
すべてがOKになっちゃう!
以上
何かの考え事をし過ぎてしまって、いざ寝ようと思ってもなかなか寝付けなくて困ったという経験は、誰もがしていることと思います。
頭が興奮すると、そういうことになるのも頷けますね。けれども、その逆に思考があまりにも静かになってしまうと、それはそれで眠りがやってこなくなるのです。
その理由は、意識が際立ってしまうからなのではないかと思うのです。意識は思考に邪魔されない限りは、そのまま覚醒しているしかないからです。
瞑想しているときに、眠ってしまうことがあるとしたら、それは気づかぬうちに思考が立ち上がって来て、意識(覚醒)を覆い隠してしまうからなのでしょう。
もしも本当に思考の主人として返り咲くことができるなら、覚醒し続けることになるはずです。その時には、覚醒しつつ身体だけが休息するために睡眠をとることになるのでしょうね。
残念ながら、今のところ意識を失うための睡眠をやめられないようです。寝るのが大好きなので。エゴがいない状態って、天国ですね!
今日もシンプルに…
もしもあなたが、自分は出来損ないで、生きてる価値もないと思っているなら、
あなたがどんな人物であれ、それがとんでもない間違いであることを
理論的にきちっと証明して差し上げられるので、
それを知りたければ、是非セッションにいらして下さいね。
以上