カーナビ

カーナビは今やクルマには欠かせない装備になってしまいましたね。私は使い出したのが比較的遅かったのか、約10年前くらいからのお付き合いです。

どこへ出かけるにしても、よほど熟知している場所以外はカーナビで目的地を設定してから出発するのが習慣になっているほどです。

最近では、タクシーや運送車などプロのドライバーの方たちの間でもカーナビを使う人達が増えているみたいですね。

カーナビは、GPSと呼ばれる静止衛星からの電波を利用した測位システムの機能によって、地球上のどの位置に自分がいるかが分かるというすばらしいシステムを利用しています。

こんなすばらしい文明の利器を使わない手はないな、などと思って、手に入れるタイミングを探していた頃、「俺はカーナビなどに頼るようなことはしない、地図とあとは動物的勘によって運転するんだ」と豪語している友人がいました。

彼によると、「男は自分の力で目的地まで到着するのがかっこいいし、人が作った機械なんかに指図されたくない。機械は故障することもあるし、何かの理由で使えないことなどがあったときに、カーナビ依存者は困ってしまうんだぞ。」とも言っていました。

彼の言い分はすべてが単なる強がりというわけでもないですね。レンタカーなどで旅行先で移動するときなど、カーナビがついてない場合にはとても心許ない感じがしてしまいます。もっとも、最近ではレンタカーにもカーナビは付いているようですが。

カーナビで目的地を設定して走行中に、誘導してもらってるルートを外れてしまうと、すかさず元のルートに戻すべく新たに最適なルートを提示してくれます。この機能もすごいなと思っています。

先日遠出したときにも、自分が敢えてカーナビの提示するルートと違う道を選んだ瞬間に、また新たなルートを教えてくれました。その時に、ふと感じたのですが、このカーナビの機能って、聖霊みたいだなと思えたのです。

聖霊というのは、自分の心の中の愛の部分のことで、それはいついかなる状況においても、自分にとって最も愛のある言動についての選択ができるように囁いてくれるのです。

どんなに自分が愛の伴わない言動をしてしまったとしても、またそこから最適な言動ができるようにと、いつも指示を出してくれているのです。

だから、カーナビを頼りにドライブしているのと同じで、自分は毎日の生活の中で、何度間違えた言動をしたとしても、聖霊はすぐに元通りにしてくれようとするのです。

当時の友人のように、男は自分で自分の方向を決めるんだと力むのではなく、その反対に人生のカーナビである聖霊に人生を任すことです。聖霊はカーナビのように故障してしまったり、使えないということがありません。

なぜなら、自分の心の一部に常にあるわけですから。ただ心が曇っていると、聖霊の声が聞きづらくなるということはありますので、できるだけ穏やかな気持ちで聖霊の声に聞き耳を立てるという習慣をつけることが必要です。それが幸せへの最短ルートだと思います。

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