三つの過ち

「奇跡のコース」によれば、私たちは大抵次の三つのことを信じて疑わないでいると言っています。それは、

-自分が攻撃されている
-それに対して攻撃し返すことは正当だ
-そんなことに巻き込まれた責任は自分にはない

確かにその通りだと思えるようなことは沢山あり、私たちは、それは信じているというよりも事実だと言いたいわけです。

例えば、クルマを安全運転していて、交差点の横から飛び出してきたクルマにぶつけられたとしたらどうでしょうか。

自分は何も悪くないにもかかわらず、大切な自分のクルマをぶつけられてしまえば攻撃されたと感じます。それはたとえ相手に悪意がなくてもです。

そうすると、咄嗟に相手に罵声を浴びせかけたくなってしまうかもしれませんね。それも正当な怒りだと思うのです。「何やってるんだ!」くらいのことはつぶやくかもしれません。

そして、こんな事故に遭遇することは、自分には何の責任もないと当然思いますし、100%相手の不注意だと断定するでしょう。

そうやって、つまりは上の三つのことを信じることになるのです。確かに常識的に考察して、自分に落ち度はまったくないし、そうした事故に巻き込まれる責任は自分にはないと考えます。

だからこそ怒りが出るわけですね。その怒りを鎮めたいと思う人もいるでしょうけれど、この怒りは正当なものだと考えると、威勢良くその怒りを相手にぶつけてしまうこともあるでしょう。

人生において自分が遭遇するいやな出来事、理不尽なことは大抵この三つの思いを想起させることになるはずですね。

しかし、当然だからと言っているだけでは心の平安はやってはきません。本当に幸せを望むのでしたら、どんな場合でもこの三つを手放すことなのです。

自分が攻撃されていると思うのは、自分の外側に起きていることは自分の心の投影であるということを忘れているからです。

投影として物事を見ることができたら、攻撃されているとはみなさなくなります。つまり相手は加害者でもないし、自分も被害者ではないという新しい認識ができます。

その結果、怒りによって攻撃し返すということに、正当性はなくなってしまいます。そして、そうした出来事に遭遇することも、自分の内面の投影による結果だと理解すれば、相手に責任を押し付けるということがなくなるのです。

これが許しの全貌です。いついかなるときも、100%投影だと分かっていればすべてを許すことができるのです。これが本当の心の平安につながるということです。