人馬一体

昔から「人馬一体」という言葉があります。その本当の意味はともかくとして、私は人が馬に跨って操るという感覚ではなく、人が馬と心をひとつにして滑走するような感覚として捉えています。

かつて、マツダ自動車がロードスターを開発するに当たって、この「人馬一体」というのを開発コンセプトとして掲げていたのを覚えています。

まるで自分自身がクルマと同化してしまったような錯覚を覚えるくらいに気持ちよく操縦できるクルマというのを目指したのでしょうね。

レースゲームに熱中しているとなんとなくこのことを体感することができる時があります。操縦しているはずのクルマがまるで自分の手足のような感じになるのです。

それはこのクルマを乗りこなそうという左脳的な思考とはまるで正反対の一体感のようなものであって、とても気持ちのいいものです。

しかし、もっと無私の状態に近づいていくと、今度は走っている道とも同化していくような感覚になることがあります。

運転している自分とクルマと道が一つになったような感覚はまた更に何とも言えない気持ちよさを味わうことができます。

自分とは単なるクルマを駆る一人のドライバーではなく、その三者が溶け合ったところにこそ本当の自分があるのだという感覚ですね。

このような感覚になるための条件とは、できるだけ何も考えない心の状態になることです。さっきよりももっと早く走ってやろうとか、より上手にコーナーを抜け出そうなどと考えなくなったときに、そうした感覚がやってくるように思います。

人生もまったく同じなのかもしれません。いい結果を出そうとか、人より抜きん出るぞとか、そうしたことを考えずにただひたむきにその瞬間瞬間、道と同化するドライバーと同じ心境で毎日生活すればいいのです。

そうすれば、きっと人馬一体のように自分と周りがいつも一つだということに気づくことができるのかもしれません。それはとても気持ちのいいものであるはずです。