違うということが分離をささえている

もしも誰かが利益を度外視してホンモノとの違いを識別できないくらい精巧な偽札を作ったとしたらどうなるでしょうか?

どんな熟練した人の目も、最もすぐれた偽札発見器を使っても、どうにもホンモノとの違いを判別できなければ、それはもう偽札ではなくなってしまいます。

原理的には、同じ番号のお札が二つ以上あったら、そのうちの一つ以上は必ず偽札だと言えるわけですが、でもどれが偽札かは分からないのですから、ホンモノとしか言いようが無くなってしまいますね。

つまりこの世界における、ホンモノ、ニセモノとはその程度のものでしかないということです。個々の違いを知覚することができるということが大前提だからですね。

ではホンモノとはどういうことなのでしょうか?違いという概念がなければ、ホンモノとかニセモノといった概念もありえないということです。

違いがあると認めることができるのは、知覚を使っているからです。私たちは知覚によって、あらゆるものに違いがあると思い込んでいるのです。

もしも知覚を使わなかったとしたら、どれがホンモノでどれがニセモノなのか、全く分からなくなるし、違いがないということはすべてが同じだということになるのです。

すべてが同じということは、すべては一つということです。自分の思いと人の思いに違いがなくなると、それは一つになってしまいます。

それこそが実在の世界です。私たちは自分と人とは違う存在だと思い込んでいますが、知覚を使わなければ互いの違いというものは消えうせてしまうのです。

それが本当は自分しかいないということです。しかしその場合の自分とはこの私ではなくて、みんなだということです。

みんなが自分であるということです。それこそが究極の一体感であり、愛そのものなのです。