心の平安を願う その2

昨日のつづきです。

心の平安を求めているつもりでいても、結局人と争いを続けているというお話をしました。私たちが求めている平安というのは、戦争に勝って、次の戦争に突入するまでのほんの一瞬の安堵なのです。

日本が戦争を放棄した国であるとしても、どこかの国から戦争をしかけられたら防衛はするということです。これでは心の平安は得られません。

私たちの求めている平安もこうした種類のものだということを理解することです。決して本当の意味の戦いの放棄ではないのです。

自分からは攻撃しないですよという約束はできるのですが、もしも攻撃されたらもちろん攻撃し返すことになりますから注意して下さいねという状態なのです。

本当の心の平安とは、今日の平安な思いは一時のものではなくて、今後もずっと続くということを確信している場合のことを言います。

それは、自分はもう何があったとしても攻撃はしませんという決意をすること以外に方法はありません。この決意を真にすることができたら、実は絶対に攻撃されることはないとわかるのです。

なぜそんなことが言えるのかというと、相手は全部自分の投影に過ぎないからです。自分は攻撃しないという決意は白旗を揚げることと同じです。

戦うくらいなら殺されてもいいという思いです。身を投げ出した状態になるということです。犬で言えば腹を上にして横になるようなものです。

つまり無防備になるということです。本当に無防備な心はどんな状態におかれても攻撃されるということはありません。

防衛するから攻撃を受けることになるのですから。何があっても攻撃することを正当化することはできないのです。そのことが分かったときに、ようやく本当の心の平安、つまり真の幸せを感じることができるのです。