知りたい、分かりたい、を諦める

我々人間に特有の欲望かもしれませんが、とにかく知りたい、分かりたい、が強くあるのですね。

それを知識欲と呼べば、そのおかげで人は成長していくこともできるのですが、実はこの欲望は何から生まれるのかというと。

それは、分離感からやってくるのです。個人として広大な世界から分離してしまった自分に残されたのが欠乏感なのです。

この欠乏感を補おうとして、外側から足りないものを手に入れようと頑張るわけです。そしてそれには終わりがありません。

なぜなら、欠乏感は分離しているという妄想からやってくるからです。つまりは、個人として生きている限り、不足感は消えないのです。

そして、知りたい、分かりたい、という欲望の一つの形として探究があります。非二元の探究も結局はこうした欠乏感からやってくるのです。

だから探究を続ける限りは、分離の世界、つまりはこの二元の世界から抜けることはできないのです。

もしかすると、どんな探求もその探求自体が邪魔をすることになるという、どうしようもないパラドックスに気づくためにあるのかなと。

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