若い頃に物事が上手くいかなくなって、落ち込んでみたり後悔してみたりして、しばらくどうしようもなくなってしまった経験があるかもしれません。
もう自分はダメだとか、お先真っ暗に思えてしまってやりようがなくなって、オーバーに言えば万策尽き果てたみたいな。
でもそんな時に、長老のような仙人のような人がやってきて、「君はまだ若い、可能性は無限大だ、何にでもなれる!」と言ってくれるかもしれません。
その有難い言葉に救われて、また明るい未来に向かって突き進んでいくことができるようになるというわけです。
こうした物語が素晴らしいもののように感じたとしても、実はとても大きな罠にハマっていることには気づかないのです。
自分には何かが足りない、こんな自分ではまだダメだ。もっと上を目指さなければ。そうやって目標に向かうことで自分の欠乏感を誤魔化すのです。
何かしていなければならないような気持ちが強い人は、こうした欠乏感から逃れようと必死になっているのです。
探究がやめられないのも似たようなものかもしれません。私たちが過去にも未来にも行かなくなった時、今の中に戻って来れた時、足りないという不満足感は幻想だったと気づくのです。
その時に初めて、最初の最初から満たされていたことに気づくのかもしれないですね。それこそが月並みな表現をすれば、幸せということです。
幸せは頑張って努力して手に入れるものではなくて、自分自身が幸せそのものだったと気づけばいいのですね。

