苦しみも執着の対象になる

仏教では、我々の苦しみの根源は何かに執着することだと言っているらしいですね。それは、最もなことだと思うのです。

どんなことでも、どうでもいいと思うなら、どうなろうと苦しむ理由が無くなってしまうからです。

ところで、執着という言葉から連想されるのは、何かを絶対に欲しいと思っていたり、あるいはそれを手に入れた時に決して無くしたくないと思うこと。

つまり自分にとって欲しいもの、都合のいいものに対しての執着をイメージするのですが、実はその逆の場合もあるのです。

例えば、私たちは都合の悪いもの、苦しみなどは排除したいと願いこそすれ、それに執着するなどとは思えないわけです。

けれども、実際には苦しみも執着の対象になり得るということです。それは一体どういう心の仕組みなのでしょう?

例えば、子供の頃に親から虐待されたとしたら、そんな都合の悪いことは一刻も早く手放してしまいたいと願うはず。

ところが実際には、虐待されて少しも反抗できなかった悔しさや辛さを握りしめているのです。

その時の苦しい感情、怒り、悔しさ、悲しみなどをおいそれと簡単になかったものになどしたくないのです。

簡単に言えば、その満たされない気持ちを握りしめておいて、いつかチャンスがあれば晴らしたいと願うのです。

そうやって苦しみも執着の対象となってしまうということです。インナーチャイルドが握りしめている感情はまさにこれなのです。

ここを癒していくことなしに、仕返しができない状態のままでは、死ぬまでその苦しみと共に生きていく羽目になるのですね。

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