現実という夢

朝目覚めたあとに、何となくこんな夢をみたなと思い出すときがありますね。私の場合には、ストーリー性のないなんとも奇妙な夢が多いです。

記憶と記憶が予期せぬ事柄で繋がっているということを思い知らされるような夢を見ることもあります。とにかく、私の夢は印象に残ることは残るものの何を訴えたかったのか分からないほどに支離滅裂です。

目覚めたあとの自分の理性はその夢と比べるとしっかりしていて、理路整然とした考え方が出来ているという自覚があります。

身の回りに起きることも理屈に合っていることばかりですし、まったく夢の世界とは違って意味がはっきりとしていると考えることができます。

ところが、奇跡のコースではこの現実こそ幻想である、夢のようなものであると教えているのです。そうなると、この現実という夢から覚醒したら一体どれほどの知性の中にいるのか想像できないくらいです。

きっと、その世界では分からないということが一つもないという状態なのだろうと予想できます。私たちはこの現実の世界ではほとんど分からないことだらけです。

科学が発展して、昔よりは様々なことが解明されてきつつあることは疑いようのない事実ではありますが、もっと根本的なことは何一つ分かってはいません。

例えば、なぜこの宇宙はあるのかとか、自分とはなぜこの世界に生きているのかといったことは決して分かることではないと知っています。

こうした誰にとっても根源的な質問について、すべてが分かりきっている世界というのがここから覚醒した世界なのかなと思います。

コースではその状態を知識と呼んでいます。知識とはそれそのものがただ分かっている状態のことです。私たちのように知覚することで理解するのとは全く異なるものです。

何の疑問もない世界、分からないことは何一つない世界、それが本当の実在の世界だということです。そして、誰もが本当はその世界に今この瞬間も生きているということです。

そのことに気づきさえすれば、いつでも覚醒できるのです。 もっと深くみると、覚醒しているかどうかということ自体も、本人の自覚の問題だけなのかもしれませんね。