救いを求める心

私たちは幸せになりたいという思いと、救われたいという思いとを混同しています。救われたいという願いが悪いということでは勿論ありません。

だれだって、辛い思いや苦しい境遇から救われたいと望むものです。たとえば苦痛を伴う病気を患っているなら、一日でも早く治ってくれたらと願わずにはいられませんね。

商売をしている人であれば、売り上げが思ったように伸びないでいたら生活が困窮してしまうことにもなりかねません。

社会の景気が少しでも回復して、商いが順調になるようにと願うのが当然です。農業に携わる方々でしたら、適度な気候や恵の雨が降ってくれるように願掛けするかもしれません。

このように、私たちはなるべく困らないように、できるだけ苦しまないですむように、物事が順調にいくようにといつも思っています。

そして窮地に立ったとしたら、そこから救われたいと思うわけです。それが自分のことであれ、大事な人のことであれ同じように願います。

しかし、本当に救われるためには心が満ち足りた状態にならなければなりません。困った事態が解決しただけでは、ほんの一瞬だけの満足で終わってしまいます。

いずれはまた、何かの問題が発生することになって、その状態から救われたいと願うことになって、それは永遠に続くことになるのです。

つまり身の回りに起きていることや、自分の身体に起きていることからどれだけ救われたとしても、それは一過性の救いであるに過ぎないということです。

真の救いこそが本当の幸せになることなのです。それは決して目に見えるようなものではないし、従って他人から理解してもらえるようなものでもないのです。

あくまでも自分の心の中で感じる幸福感でしかありません。理由もないのに、なぜか満ち足りていてすべてが揃っているという感覚です。

これは何かを解決して救われようとするのとは全く次元の異なることなのです。あなたはどんな救いを求めていると思いますか?

一度じっくりと自分が何を望んでいるのか、見つめてあげることが大切だと思います。