死について真正面から見据える その2

昨日のブログを読み返していたら、関連することで少し書いて見たいことが出てきました。それは、自分は死を目前にしたときに、どんなふうになるのかなということです。

死ぬ理由はともかくとして、それまで生きてきた人生を振り返ったりするのだろうかと想像すると、そうした真面目な自分をイメージすることがイマイチできません。

よく、人は死ぬ直前に、過去を振り返って、もっとこうしておけばよかった、ああもしていればよかったと後悔すると言われます。

そして、そういうことがないように、毎日を精一杯生きるべきだと言われたりしますね。確かにだれも取り返しのつかないことを後悔するのはいやですから。

しかし、よくよく考えて見ると、死んでしまえばすべては終わりです。完全なる終焉です。これほどの真実はありません。

真実というのはいつも冷酷なまでに無情なのです。どれほど、もがいて抵抗しても絶対にどうしようもない終わりがやってくるのは何よりも確実です。

それならば、一体何を悔やむことがあるというのでしょうか?完全なる終焉という事実を心の底から迎え入れるなら、そこには何もないのではないかと思うのです。

それは、悔やもうが悔やまずにいようが、そんなことはぶっ飛んでしまうくらいの絶対的な終焉なわけですから、これほど小気味いいことはありません。

それこそ、何も残らないのです。きっと、そのときに自分は人生で何も所有していなかったということに気づくと思うのです。

ただ始まったものが終わりを迎えるということ、ただそれだけなんだなと思えるような気がします。それこそ何もない静寂に包まれているような、静かで安らかな気持ちになれるのかなと…。

そうだとしたら、それは肉体の死を待つことはないと分かります。そう、今この瞬間にもその気持ちになることはできるはずです。

あらゆるコントロールを放棄して、すべての終焉と同様に、精神活動を停止すればいいだけのことです。すべての闘争をやめて、ただあるがままに在ればいいのですね。
.