魔法の言葉、「ただそれだけ」

すごく嬉しいことや喜ばしいことがあったら、それを誰かに伝えたくなるものです。そしてそれを伝えて、それは本当によかったねえと共感してもらいたいのです。

けれども、よかったねと言ってもらったあとで、でもただそれだけだね、と付け加えられたら、どうでしょう?何だか喜びが削がれてしまうような感じになりますね。

「ただそれだけ」という言葉は、そういう意味からするとかなり否定的な響きを持っていると言えると思います。

何があったとしても、「ただそれだけ」と言われるとしたら、味気ないし感動すらどこかへ吹っ飛んで行ってしまうかもしれません。

あるいは、「ただそれだけ」を連発したら、つまらない奴だなあと思われるかもしれません。人は一緒に感動したいという欲望を持っているのですから。

感動というのは、ある種の興奮です。それは良いことであろうと悪いことであろうと、生きてるという実感を得られるものです。

勿論自分に都合の悪いことで興奮したくなどありませんが、それでもそうした辛いことでもそれを乗り越えることができたときには、今度は嬉しい興奮が待っててくれるのです。

人は興奮が好きなのです。戦いに勝つことも、何かを達成することも、夢を叶えることも、形は違えどみな興奮がそこにはあります。

しかし、「ただそれだけ」をいつどんな状況においても、心の中で唱えることを続けていくと、興奮はすぐさま収まり、逆に平安な状態へと戻されるのです。

こんないやなことがあったけど、でもただそれだけ。身体をぶつけて痛い!でもただそれだけ。大切なものを失った喪失感に耐えられない、でもただそれだけ。

ただそれだけなどと済ますことなど絶対にできない、でもそれもただそれだけ。つまり、最終的にはあらゆることは、ただそれだけに帰結させることができるのです。

この方法は、あらゆる種類の興奮が短時間になくなってしまいますので、興奮し続けたい人には不向きなことは間違いありません。

しかし、平安を愛する人にはお勧めの言葉なのです。試しに、今日から何かある度に「ただそれだけ」とつぶやいてみて下さい。

ただし、この言葉は、痛みや苦しみから遠ざかろうとして使うということのないようにする必要があります。強がって見たり、感じないようにするために使ってはなりません。本当は、その真逆なのです。

何ものからも逃れようとせずに、充分にただそれを見ることによって、「ただそれだけ」がひとりでに出てくるようになるのが理想です。

でも決して、他人に向かってその言葉を言わないように注意して下さいね。