姿かたちには屈服しない

人はどんなに気をつけていようと、どれほど頑張ろうと、時の流れとともにそれなりに老いていくものです。それを止めることは決してできませんね。

勿論、個人差はあって、いつまでも若々しいと感じさせる人もいれば、病気などを患った後に急に老け込んでしまう人もいます。

とは言うものの、いずれにしても結局は誰もが何をしようとも、たとえ不老長寿?の薬を飲んだとしても、例外なく老いて死んでいくのです。

そのことに逆らうことなど決してできません。けれども、身体の老いは仕方のないことだとしても、自己としての意識はどうでしょうか?

人は自分の年齢とともに、自分の意識においても年老いていくものだと思い込んでいます。しかし、本当は意識には年齢というものがありません。

あるとしたら、それは単なる思考の産物に過ぎないのです。身体の実年齢が○○才だから、内面的にもその年齢になるはずだという思い込みがあるだけなのです。

また、周囲の人たちからその年齢にふさわしい人物として扱われるようになるために、そうした認識に無意識のうちになびいて行ってしまうということもあるはずです。

私は、最近鏡などで自分の姿をまじまじと見ることがなくなったのですが、たまに必要があって鏡に映った自分の姿を見ると、日頃の自分の意識とはそぐわない感じがします。

もっとはっきり言えば、長い人生の時をかけて作り上げてきた人物としての衣の中にいる、裸の自分自身に意識を向けると、そこには子供のころと何も変わっていない自分を見つけることができます。

本当に何一つ変化などしていないのです。だからこの先も決してその自分は老いていくことはないだろうと思っています。

そして肉体が死ぬときまで、意識は意識のままであり続けると思うのです。どれほど肉体的に老いても、そのピカピカの自分はそのままでいるはずです。

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