過去に書いたコラムと今書いているブログの矛盾について

この仕事をするようになって、日々のクライアントさんとのセッションを通して得ることができた様々な気づきについて、沢山コラムとして書き留めておいたものです。

あの頃は、本当にまじめにコツコツとコラムを書いたものでした。その中で、今でもはっきりと覚えているのは、「人生は自作自演」という題名のものです。

会社員の頃にはそれほど、はっきりと意識していたわけではなかったのですが、気がついたら、自分の身に起こることは自分が起こしていると思えるようになったのです。

つまり、自分がどんなに傷つけられたと思っても、そこには加害者としての他人も被害者としての自分もいないということ。

すべては、自分自身の台本通りに人生が動いているだけなのだということ。この理解を得られることで、人は相当に心が穏やかになっていくのです。

それを投影という言葉で表現していたかどうかは忘れましたが、この世界のすべては自分のマインドが投影しているもので成り立っているということです。

けれども、このことは実は「私」という個人が現実として存在する、ということが前提でのお話しであって、そのレベルを超えてしまえば、意味のないこととなるのです。

なぜなら、このブログでも再三お伝えしているように、この宇宙のあらゆる出来事は自動的に起きるということ、行為は為されるが、そこに個々の行為者はいない。

このお釈迦様の残したとされる言葉の真意が分かれば、マインドの投影というもの自体が真の源泉の上で起こされていたことだと理解できるからです。

何かを人に言葉で伝えるときには、一体どこのレベルについてのことなのかということを、いつもしっかり把握しておかなければ、矛盾したことを伝えることになってしまいます。

以前コラムに書き溜めた文章のほとんどが、そのようにして「私」という存在の確かさというものが前提だったということです。そのレベルでは確かに役に立つ内容でした。

しかし、それが崩れてしまった今となっては、あのコラムととてつもなく矛盾したことばかりを、最近の自分は書いているという自覚があります。

これはもう仕方のないことだと思っています。いまだに、あのコラムを読んでセッションに来てくださる方々がいるのは本当にありがたいことです。

その方々が、このブログの内容を読まれたとしたら、もしかしたら混乱されてしまうんじゃないかと思ってしまいますが、それも自動的に起きていることだとも言えるわけですね。

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