マインドは群衆のよう

マインドの中から聞こえて来る沢山の声を聴いていると、それが自分の内面の声とは思えないほど、大勢の人たちの声のように感じるのです。

私は、東京生まれの東京育ちなのに、どういうわけかコテコテの関西弁でしゃべってくる誰かもいるし、ずっと何かの曲のメロディを口ずさんでいる人もいます。

どうも、マインドというのは大勢の人の声の寄せ集めのような気がするのです。マインドとは、決して一人ではなくて群衆のようなものに違いありません。

これまでの人生のあらゆる場面において、完全には生きてなかったその瞬間瞬間の不満の声が、聞こえてきているのです。それだけ、不完全燃焼の毎日だったということですね。

それがあまりにもひどくなってくると、どうやら独り言という形をとって訴えてくることにもなるようです。私は学生のころに、独り暮らしをしていたときに独り言を沢山言っていた記憶があります。

単に自覚がないままに寂しかったというのもあるのかもしれませんが、マインドの奥からやってきた声が実際に自分の口から溢れて出てきていたのではないかと思うのです。

もしもあなたのマインドが静かだと感じるのでしたら、それはあなたがマインドの声を遮断しているということです。なぜなら、静かなマインドというものはないからです。

どんなに小さな声であろうと、マインドという群衆はしゃべり続けているのですから。マインドが静寂になるということは在り得ません。非静寂さこそがマインドの本性なのですから。

本当に静かになれば、マインドは消えてしまうでしょう。どれほど静かに感じたとしても、「しー!」と言っている誰かがいるということに気づくことです。

瞑想中にどれほど静寂を感じたとしても、その後にいつもの意識に戻ってしまうのは、そういうことなのです。私は、マインドが静まり返ったと感じるときに、声を潜めてじっとしている誰かがいるという感じがします。

その静寂さをマインドの中の誰かが感じているのですから。静寂さを感じる誰もいなくなったとき、マインドはもたなくなるはずです。

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