物語への興味は尽きない?

私たちは本当に物語が大好きなのですね。だから、テレビドラマから始まって、あらゆるジャンルの映画や歴史本なども含めて、物語に嵌り続けているのです。

勿論、そうした物語の決定版は自分自身の人生です。ただし、誰もが概ね人生を物語のようには扱っていないだけで、それが物語であることは間違いないのです。

なぜそれほどまで、誰もが物語を愛してやまないのか?それは、自我(エゴ)がそれを利用して自分の存在を明確化しようと目論んでいるからです。

自我というものは、何であれ目的がなければ成立しないのです。あるいは、その逆にどんな目的も自我なしには保つことはできなくなるのです。

つまり、自我は人生という物語の中にある目的によって生き延びようとしているということです。だから自我を自分の主人にしてしまった私たちが、物語に目がないのは当然の結果なのですね。

したがって、もしもあなたが人生には目的や目標があるべきと考えているのでしたら、それが変わらない限りはいつまでも輪廻転生し続けることになるでしょう。

なぜなら、物語には本質的には終わりはないからです。ある物語の目的が達成されたら、その後すぐに別の目的が考案されてしまうからです。物語に真の「完成」というものはありません。

一話限りの映画が大好評だったりすると、不思議に続編が製作されたりして、また人気を博すことがよくありますが、あんな感じで物語はいくらでも続くのです。

もしもあなたが、人生という物語をそろそろ本当に終わりにしたいと感じているのなら、肉体とともに生きている間に途中で終わりにするしかないのです。勿論、自殺のことを言っているのではありません。

人生という列車には終点はないので、途中下車するしかないということです。そして、途中下車が本気であるためには、その列車の中でこの後どんな面白そうなことがあるかなどという期待を手放す必要があるのです。

とは言うものの、誰かに強制されて物語への興味を無くすことなどできないのですから、あなたが人生という物語から垂直にジャンプするかどうかのすべてが、あなた次第なのです。

あなたが今の時点で、どれほど物語にご執心かどうかを見極めるには、自分の周りに起きている出来事についていつもあれこれ考えているかどうかを見ればいいのです。

昨日のブログで書いたように、内側に意識を向けることが増えてくれば、それだけ物語への興味が薄れてきた証拠だと思えばいいのです。

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