何も無さが充満している

自分が肉体的にも精神的にも活躍しているときには、はっきりとこの自分がいるということを意識することができますね。

特に、ネガティブな感情に溺れそうになっていたり、苦痛に耐えていたりするときには、明確にここに自分がいると分かるのです。

けれども、一方ではできるだけ身体を動かさないようにして、精神も静止するようにしているだけで、自分というものの輪郭がぼやけてきます。

こうだ、と思っていた自分という存在が何かとても脆くて、危ない感じがしてきます。以前はそれが恐怖と共にやってきたのですが、最近は悦びを感じるようになったのです。

だって、自分がいないと感じるくらい気楽なことはありませんから。でも気楽と感じているくらいですから、まだまだ自分はいるのです。

本当に自分が消えてしまうと、気楽さも何もかもなくなって、それに気づいている状態がただ在るだけになるのです。

それは楽しくもないし、これと言った特別な感慨も何もありません。ただ在るとはそんなものです。何も無さで充満しているのです。

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