真理は非論理的

世の中で起きていることをよく見てみると、それには必ずはっきりとした説明ができるような理由があるものです。つまり、原因があってそれに対する結果が起きるということです。

たとえば、何かの植物の種が芽を出して、それが最終的にどんな樹になるのか、どんな花を咲かせるのかは、決して偶然決まるわけではないですよね。

その種の中には、精工な設計図が入っていて、その通りに花を咲かせるわけです。どんな単細胞な生物でも、人間のような複雑な生物でも、DNAという設計図通りに成長するのです。

科学者は、宇宙で起きていることはすべて原因を究明することで、その説明ができるとして頑張っているのですが、その一方で、決して理由を見い出せないこともあるのです。

私は、以前どんな理由もないのに感謝の気持ちがやってきて、どうしようもなくなった経験をしたことがありました。ただただ感謝がきて、圧倒された経験です。

それはごく普通に「○○してもらって感謝です。」というのとは全く違った経験でした。何かに対する深い信頼の気持ちも、理由を見つけることができないはずです。

理由のない感謝や信頼は、愛の別の呼び方です。本当の愛にも、それが湧き起る理由を探すことは不可能なことですね。それは突然やってくるのですから。

理由のないことは、マインド(思考)にとって非常に扱いづらいことなのですし、それこそが真理の一つの大きな特徴と言ってもいいのです。

理由があって、論理的に説明ができるものは、何であれ一過性のものであり、それは真理とはまったく異なるものなのです。

真理にはどんな理由もないし、非論理的なものです。だから、マインドは真理の中では息絶えてしまうのでしょう。真理ほど不条理で矛盾をはらんでいるものはありません。

それはただそう在るように在るのです。

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