ちょうどいいスケールで身体を見る

私たちの誰もが共通して思い込んでしまったこと、それは自分とはひとまとまりの存在だというものです。それがエゴの始まりですね。

それが個人という概念を作り出すのですが、それはちょうど自分の肉体がひとまとまりのものに見えるからなのです。

物心がついた時からずっと、身近な場所に自分の身体が見えていて、それがひとまとまりのものとして認識できたからです。

もしも自分の目が身体から数10メートルも離れたところにあったとしたら、どういうことになっていたでしょうか?

身体は1〜2メートルのところから見るとき、ちょうどひとまとまりのものに見えるのですが、数10メートルも離れていたらまったく印象が違っていたはずです。

その場合には、遠くにある身体を自分自身だと思い込むことは不可能だったと思うので、エゴを作ることはできなかったはずなのです。

また、逆に非常に微細なものしか見ることのできないような目だったとしたら、身体の細胞レベルが見えるだけで、この場合もひとまとまりには見えないのです。

常に身体の一部の細胞だけが見える状態であれば、やはりエゴは作られなかったはずなのです。

何が言いたいかというと、結局ちょうどいいスケールで身体が見えるような眼だったことで、身体をひとまとまりとして認識できたのです。

個人としての私がここにいるという思い、感覚というのはその結果でしかなく、それは真実ではないということですね。