決してどんなものにもならない

あなたが自分は善人やあるいは悪人に

罪人やあるいは賢者になったと思ったとしても

それはただの考えにすぎない

なぜなら、あなたの内なる空は

決してどんなものにもなりはしないのだから

それは<在るということ>なのだ

それは決してどんなものにもなりはしない

by osho

私たちの自我というのは、とにかく何かにならなければならないと思い込んでいるのです。それはもう脅迫神経的にまでなっています。

社会的に言えば、ひとかどの人物になるといった抽象的なものから、より具体的な職業がその人のなるものの場合もあります。

たとえば俳優だとかミュージシャンだとか、医者や教師。私の場合で言えばセラピストなのです。

けれども、あなたは誰ですか?と言われてすぐさま思いつくのは、決してセラピストではありません。

勿論善人でも悪人でもなく、賢者や修行者でもありません。何かになるというのは、自我の妄想なのです。

あなたが何かになるというのはほんの表層のことであって、本当のあなたは何かでも誰かでもなく、ただ在るのです。

自我の妄想である、「何かになる、誰かである」というのをただ見ていてあげることです。

そうすれば、あなたは決してどんなものでもないということを忘れることはないはずですね。

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