鏡のような眼

鬼束ちひろさんの月光という昔のヒット曲があるのですが、メロディが大好きなだけじゃなくて、出だしの歌詞も気になりますね。

『I am GOD’S CHILD(私は神の子)
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろというの?)
こんなもののために生まれたんじゃない』

自分は神の子なんだけど、こんな酷いところに産み落とされて、一体どうしろって言うの?冗談じゃない。的なことを訴えているようで。

人生が上手くいかなかったり、不自由で仕方なかったり、苦しみばかりがやってくるようなら、確かに神を恨みたくもなりますね。

私たちは嫌なことがあると、自分を恨むか他人を恨むかのどちらかになるのです。上の歌詞はどちらかというと、後者の方かもしれませんね。

けれども、人生がトラブル続きだったり、不自由で生きづらかったり、苦痛に喘ぐとしたら、それはどちらのせいでもありません。

それは自我のせいなのです。自我と自己を同一化したことによるのです。世界が腐敗したように見えるのは、自我の眼によるもの。

もしも自我の眼の代わりに、鏡のように目の前に来たものをただそのままに写す眼を持っていたなら、この世界に良いも悪いもないと気づくことになるでしょうね。