天国も地獄も場所ではない

一般的な天国というもののイメージは、何の苦労も何の心配もなく、全ての欲望が満たされて困ったことが一つもない世界。

だからこそ、誰もがみな親切で、愛に溢れていて、争いごとが全くない場所だと考えられるのです。素晴らしいところだと。

けれどもよくよく考えてみると、それは場所ではなくて私たちの内面の状態のことを指していると思える言葉ばかりですね。

つまり天国というのはどこかにあるのではなくて、私たちの心の状態のことを言うということ。地獄もまた然り。

地獄もそういう辛く苦しい、暗黒の場所がある訳ではなく、私たちの心が絶望や憎しみなどで満たされている状態のことです。

そして、自我は地獄では問題なく生き続けることができるのです。なぜなら、地獄は闘う場所だからです。

一方天国では、自我は決して生き続けることができないのです。闘いがなく、欲望も消えて完全に満たされた状態では、自我は溶け去るしかないからです。

つまり私たちが死んで天国に行くというのは、あながち間違った表現ではないということですね。

自我が死んだら、即座に私たちの本質が顕れるのです。そこに分離などはなく全ては全体という一つに戻るのですから。