存在に意識を向ける

部屋でじっくりと大好きな音楽を聞こうとしたら、その部屋が静かであるに越したことはありませんね。

誰も雑音だらけの場所で音楽を聴きたくないのです。雑音を遮断するために、イヤフォンやヘッドフォンを使うくらいですから。

それは当然、雑音が聴こうとする音楽の邪魔をするからです。環境が無音であればあるほど、音楽はそのまま耳に入ってきてくれるのです。

無音、つまり静寂というのが如何に大切なものかが分かりますね。音のベースは静寂だと言ってもいいくらいです。

私は個人的に、静寂を感じられる音楽が好きです。この音の背景には静寂が佇んでいると感じられると、何だか気持ちがいいのです。

それと似たようなことですが、自分は自分の人生物語を生き続けているのですが、その自分をどのように見ているのか?

自分は何かをする人、自分は何かを経験する人、自分は何かになる人、このようにだけ自分を見ているのではないでしょうか?

実はその背景にあるもの、それは自分とはただ在る人、つまりは自分は存在なのです。この存在が常にバックにあっての毎日の生活なのです。

それは音楽のバックにある静寂のようなものです。もしもあなたが自分の存在に意識を向けずに生きているなら、何と軽薄な毎日でしょう。

あなたの本質はただ存在するということです。あなたが誰かを愛するならその対象は存在なのです。受容する対象も存在です。

なぜなら、愛も受容も存在も全てが思考の外にあるものだからです。いつも自分の存在に意識を向けているように練習するといいと思いますね。

それができれば、人生物語を見ている側でいることが容易に感じられるはずです。存在を感じられるように訓練することです。