常識に飲み込まれるな

より自然に、より自由に生きようとしたときに、それを邪魔するものとして挙げられるものの一つとして、常識というのがあります。

常識的に考えたらそれはダメでしょう、と言っている声が聞こえるようになったら、その時はそれを越えるチャンスだと思ってください。

聞こえるということは、それとの一体化が薄れている状態だからです。例えば、これから寒い冬に向かうという時に、水のシャワーを浴びるのは非常識ですね。

実はこの夏頃から、朝起きてすぐに入る朝風呂で、真っ先に水のシャワーを浴びるというのを習慣にしているのです。

夏の間は良かったのですが、そろそろ朝夕の冷え込みがやってきた昨今、それでも朝の起き抜けの水シャワーはどうなんだ?という常識人の声が聞こえるのです。

こんな馬鹿なことをしていたら、いずれは風邪を引くことになるぞとか、こんな非常識なことをしていいことなんか何もないぞ、という声が聞こえるのです。

けれども、実際の体感としては別に寒いと感じることも身体に悪いと感じるようなこともなく、ちょっと気持ちいい程度のことなのです。

水シャワーの後はすぐに暖かい湯船に浸かるので、何も問題はないのです。こんなことを毎日の習慣にしていてはっきり気づくことがあるのです。

それは、常識という一見理性的な思考がもっともらしい説を唱えてくるのですが、本当はそれは誰かが言い出した意味のないことでしかないのです。

水シャワーに限らず、常識にそぐわないと思われるようなことを見つけて、実際に試してみることをお勧めします。

いかに普段から常識の枠に囚われて生きているか、ということに気づくはずだからですね。