精神の飢餓状態

私たちのマインドあるいは自我は、目標や目的なしに生きていくことはできないのです。過去や未来に思考を飛ばすのもそれが理由です。

多忙を極める人たちは、そんなことはない。自分は何もせずにいられる時間が欲しいと言うかも知れません。

けれども彼らが全くフリーな時間を手に入れたとしたら、今度はその時間をどうやって過ごそうかということを考え出すのに、それほどの時間はいらないはずです。

たとえ瞑想するとしても、何の目的もなく瞑想することはできないのです。自覚はなくても何らかの目的がそこにはあるはず。

もしも何もするべきことがなく、何もしたいこともなく、それでも何も特別困ることがない時間が続けば、マインドは悲鳴を上げることになるのです。

老いて認知症になった母親を見ていると、無目的に生きることしかできなくなって本当に困っているのが伝わってきます。

それで無理やりマインド単体でアリもしない不安ネタを作り出しては、それを解決することを目的にするのです。

それと同時に無意識的な状態へと持っていって、その無目的による精神の飢餓状態を忘れるようにするのです。

こうしたことを身近で教えてくれるのが、今の母親の唯一の役目なのかも知れませんが、それにしても物理的には恵まれつつも、精神的には飢えている状態から早く解放してあげたいと思ってしまいます。