言葉の限界

若い頃には分からなかったのですが、多分一生は思いのほか短いのだろうということ。最近それをリアルに感じるようになりました。

自分にはまだまだ時間があるという思い込み、それが本当になくなってきたなあと分かるのですが、その実感を言葉などで伝えることはできません。

他にも言葉で伝えられることがとても少ない。特にこれは非常に大切なことだから何としても伝えたい、そう思うものほど伝えられないのです。

それもそのはず、言葉というのは思考であり、それは自我のものだからです。つまり言葉で伝えられる範囲というのは、そもそもが自我の範疇のものだけなのです。

自我が少しの間落ちていた時に一瞬で理解した、「時間はない」というあの感覚。どうやったって、言葉で説明などできない。

ブログでいつも言っている「全体性」にしても、その普遍性、あまねく存在する感覚なども絶対に伝えられません。

そもそも伝えられないものというのは、誰であれその内面に元々持っているものではないだろうかと考えています。

つまりは伝えることができないというよりも、伝える必要がないということ。各自が興味と熱意を持って、自らの内側へと入っていくこと。

方法はそれ以外にないのだろうなと思うのです。やり方はいたってシンプル。静かな時間を作って、ゆっくりと意識を内向きにしてただ在るようにするのです。

ただ在るというのは、過去にも未来にも行くことなく、欲を傍に置いて思考から離れているようにすることです。結果を期待せず、求めず。シンプルだけど難しいですね。