気づきだけがあって、後は全て飾りのようなもの

目の前には、様々なものが現れています。景色があり、音があり、身体の感覚があり、思考や感情があります。

私たちはそれらを一つひとつ取り上げては、名前をつけ、意味を与え、現実という物語を組み立てているのです。

けれども、よく見てみると、一つのことに気づきます。それらすべてに先立って、ただ気づきがあるということ。景色が現れることに気づいている。音が聞こえることに気づいている。

思考が浮かぶことに気づいている。では、その気づき以外に、何か確かなものがあるでしょうか。景色は変わる。音は消える。身体感覚も思考も、絶えず移り変わっていくのです。

どれ一つとして、そこに留まり続けるものはありません。それに対して、気づきは何か特別な現象として現れているわけではないのです。

何かを見たり、聞いたり、感じたりする、その全てにおいて、ただ気づきがあるのです。そう考えると、私たちが大切にしてきた世界のすべてが、少し違って見えてきます。

人生も、時間も、空間も、自分という存在さえも、気づきの中に現れている見かけにすぎないのです。それらは決して無意味というわけではありません。

ただ、気づきと同じ意味での確かな存在ではないということ。まるで舞台を飾る装置のように、さまざまな現れがそこにあるのです。

しかし、舞台装置がどれほど精巧であっても、それ自体が何かを成立させているわけではありません。そして、ここには舞台と舞台装置という二つのものさえ、本当はないのです。

ただ気づきだけがある。あとは、その気づきに現れている、色とりどりの飾りのようなものだと。その飾りを取り除く必要もなければ、何かを付け加える必要もないのですね。

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