特別でありたい自分

少し前に「特別な自分」というブログの中で、誰もが自分のことを特別だと思っているということを書きました。

特別視するあまりに、自分を客観視することができなくなってしまい、不要な緊張を起こしてしまったりするということをお話ししました。

この特別さというものを私達はどう思っているのでしょうか?少し掘り下げて考えて見ると、自分は特別だと言う事と、自分は特別でありたいということとは違うように感じます。

つまり、本当に特別だと思っているのなら、特別でありたいとは殊更思わないはずなのです。しかし、他人と違う服装をしてみたり、目立つクルマを所有したり、個性を発揮しようとするのはそのままでは特別さが薄れてしまうという恐れを持っているということです。

本当は自分が特別だとは自信を持って思ってはいないのではないかと勘ぐってしまいたくなります。そして、自分の心の中をよく観察してみると、特別でありたいという気持ちを強く持っていると分かります。

きっとこれは万人に共通の気持ちだろうと推察しています。ということは、心の底では特別ではないということを分かっているのかもしれません。

その秘密を伏せておいて、特別な自分になりたい心の部分が「からだ」を作り、その「からだ」こそが自分であると思い込ませたのです。

そういった目的で「からだ」を作ったために、「からだ」は他とは違う個別性を持つことになったということなのではないかと思っています。

自分を特別な存在に仕立てるために、私達は「からだ」を用いて他との比較において優劣をつけたり、勝敗を決めて特別さをより鮮明に証明することに躍起になっているのです。

自分の普段の毎日の生活を思い出して、より明確な特別さを求めていない行動というものが果たしてあるのかどうか考えて見て下さい。

いかに自分が特別さを必死になって求めているか気がつくはずです。その頑張り方は尋常ではないのです。勿論、その理由は特別ではないという秘密を隠しもっているからなのだと思います。

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