快適な暮らし

何年か前にハワイ島に別荘を持つという構想を練っていたことがありました。勿論先立つものは何もないので、ただの妄想の域ではあったのですが、そういった類のことを考えたのは生まれて初めてだったと思います。

島全体が溶岩からできているハワイ島であれば、何処もかしこもある種のエネルギースポットのようなものだろうし、オワフ島などとは比べ物にならないくらいに自然がいっぱい残っています。

そこに豪華な別荘を建てて、昼は海で波に乗り、夜はジャグジーに浸かりながらシャンパンを飲んで、満天の星空を眺める、そういった夢を少しでも現実のものと思おうとして天体望遠鏡だけは購入しました。

そんな生活が、一年のうちの数ヶ月もできたら本当に快適だろうなと思っていました。そういった快適さというのに憧れを持たないという人はいないかもしれないですね。

ところが、「奇跡のコース」を学んで行くうちに、そういった快適な暮らしというものに疑問を持つようになってきてしまいました。その理由は二つあります。

一つは、その快適さのターゲットとなるのは自分の身体にあるということです。確かに身体が快適であれば、心もそれなりにのんびりして快適になるように思われます。しかし、その心の快適さはあくまでも気晴らしのレベルに過ぎません。

コースの教えでは、我々の本当の姿は身体ではなく、スピリットだと言うものです。身体はエゴが作ったニセモノであり、その身体を快適に保つことを優先して生きるということは、エゴの思う壺であるわけです。

もう一つは、快適さと幸福感は全く違うということの気づきです。幸福感は与えることからしか得ることはできないということをよく見つめてみれば、身体の快適さは足りないものを手に入れる生き方であって、与えることとは相反することだと分かるはずです。

勿論、快適な暮らしが悪いということではありません。あくまでもそういったことは物理的なことであって、それを人生の目標にしているうちは本当の幸せはやってこないと分かる必要があるということですね。

とはいうものの、人一倍身体の快適をいつも求めている自分としては、この気づきは痛いなあというのが本音です。

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