諦めること

私達はいくら必死に望んでも、どんなに強く願っても、どうしても叶わないことについては諦めるという心の状態になります。

好きで好きでたまらない相手から交際を断られたら、絶望的な気持ちになってしまうかもしれませんが、最終的には諦めるしかないですね。

誰の人生であろうとも、何でも思い通りになるということはあり得ないわけで、必ず生きていれば諦めなければならない経験を何度となくするわけです。

場合によっては、どうしても諦めがつかないという体験をすることもあるかもしれません。そういう場合は、諦めがつくまで本当に辛い思いをするはずです。

本人の自覚としては、もう諦めたよと思っている場合でも、実は次の二つのケースがあるのです。一つ目は、願いが叶わないということを認めることができた場合です。

これは、そのことにもう未練が残ってない状態であって、これが本当の意味で諦めがついたということなのです。

この場合は、もうくよくよ悩むことからは開放されて、気持ちは案外すがすがしい感じになれるものです。諦めたという言葉よりも、ふっきれたとか、どうでもいいことになったというニュアンスかもしれません。

そして二つ目の場合ですが、これがいろいろと問題を引き起こす原因となるのですが、諦めたつもりでいて、その実、諦められないという本心を抑圧している場合です。

本人の自覚としては諦めたつもりになっていますので、諦め切れなくて苦しいという感覚はなくなります。しかし、心の奥には諦めていないという執着が燻っているわけです。

本人が諦めたと言っても、大抵の場合がこのケースであるのです。この場合の方が諦めたという言葉を使うようです。

ですので、私は諦めたと本人が表現している間は、諦めていないんだなと思うようにしています。勿論100%そうではないですが。

この隠された諦めてない本心は、それを本人に知らせたくてそれ以降の人生においてさまざまなネガティブな現実を引き起こすのです。

どうしてもこの人と結婚したいと思っていた人に断られて、自分はもう完全に諦めたつもりになって、また他の素敵な人を探そうと思っても、いつまでたっても別の人を好きになれないような場合、心の奥ではもしかするとその人のことを諦めきれずにいるのかもしれません。

そのことがブレーキとなって、新たな恋人を作れないでいるということもあるわけです。このように、思ったように人生が進まないなと感じることがあれば、次のようにしてみることです。

自分が今までに諦めてきたと思っているものを一つひとつ洗い出してみて、さて本当に心の底から諦めているのだろうかと疑ってみるのです。

そうやって、うまくすると気づかずにいた過去の執着に気づいて、それを手放すことができたら人生のブレーキが解除されるかもしれません。

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