自由意志を持っているというウソ

私たちは、自分の意に反してあらゆる出来事が起こってしまうことを、いやというほど経験して知っていますね。

どう頑張っても避けられないことは、自分や大切な人の死だったり、災害などで人々が不幸な体験をせざるを得ないことです。

けれども、学校の成績だとか人からどんな評価をもらえるかといったことは、自分の心がけとそれに伴う行動によって結果が変わることを知っています。

だからこそ、何とか努力をしてできる限り、自分が望むように物事が推移する(起きる)ようにと頑張るわけです。

もしも、何かの楽器を上手に弾けるようになりたいと思ったら、ただその楽器を眺めたりさすったりしているだけでは、駄目なことは当たり前です。

毎日コツコツと練習する人の方が、滅多に練習しない人よりもより上手に弾けるようになるのは自明のことです。

だから、私たちは自分の意思で自分の人生を切り開いていけると信じています。それに反して、人生なんてどうあがいたところで、なるようにしかならないんだからとうそぶいている人もいます。

努力次第で結果が変わるということは概ね確かなことですね。しかし、その努力をするかどうかということについてはどうでしょうか?

また、正確に言えば努力をした方がしないときよりも、より望ましい結果が出るということも必ずしも言えないということも分かっています。

実は、努力をした方がいいのか、そうでもないのかという議論には意味がないということを言いたいのです。

なぜなら、努力をするということも、しないということも、同じようにただそういうことが起きたというだけのことだからです。

私たちが信じこんでいることの中で、最も大きなウソの一つとは、自分には自由意志があるということです。

もしも、このウソを暴くことができたら、罪悪感や余計な不安感、あるいは憎しみ、物事への執着といったものが軒並み消えうせることになるはずです。

自由意志がないなんて、何と不自由なことだろうと思うかもしれませんが、いやいや罪悪感、不安感、憎しみ、執着などから自由になることの方がはるかに清々しいはずです。

一度立ち止まって、じっくりと自分の人生を舵取りしてきたのは、本当にこの自分だったのかどうか、検討してみることは意味のあることだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です