徹底的に自分に誠実であること

自分の思考について、それを信じないという態度を続けていると、次第にあらゆることに対しても今までとは違う見方をするようになるようです。

それは、最も単純化して表現すると、例えばこれはAだということが正しいと思えば、それと同じ分だけそれはAではないがやってくるということです。

この現実は幻想だということを突き詰めていくと、この現実は単に幻想とは言えないということがやってくるのです。

何かを正しいと断定すればするほど、それは正しくないというのが付きまとうということです。このことに気づくと、物事を断定することにそれほど興味がなくなってきます。

私たちの本質は決して身体ではないということを探求すると、私たちは身体だと信じていることにも抵抗を感じなくなるのです。

私たちには自由意志などないので、努力する必要はないと思えば、必ず努力する必要があると思えるときもやってくると感じます。

こうした感覚というのは、とにかく自分に徹底的に正直に、誠実になることによって、何が真実かということとは別にやってくるものなのかもしれません。

なぜなら、私たちがこれが真実に違いないとすることは、思考の中でのことだからです。どれほど有名な経典に書かれていることであれ、それらはあくまでも観念の世界のものです。

一体本当の真実とはどういうものか?という問いそのものが、思考からやってくるのだとしたら、そこには思考が分かる答えだけが待っているわけです。

それは必ず、別の思考によって覆される運命を伴っているとも言えます。科学も、覆されてきた歴史を持っていますし、それはスピリチャルな世界でも同じかもしれません。

とにかく、思考によって言葉を発してしまえば、そこには必ず覆される運命が待っているということを忘れないことです。

それなら、沈黙することが最善ですね。そうすると、途端に沈黙することが最善であるとは限らない、が心の奥からやってくるのを感じます。

まったくきりがありません。結論としては、真実だと自分が思うことに対しても、それはそれという態度でいること、そしてとにかく一瞬一瞬を自分に対して誠実であり続ける、これしかないようです。