親しさの、その奥に隠しているもの

みなさんは、家族や友人、そして恋人のように親しい人と一緒にいるときに、突然何の脈絡もなく、「あれ、この人誰だか分からない。」という違和感のようなものに襲われたことはありませんか?

私は実はそれほど頻繁ではないにせよ、たまにこうした不思議な感覚になることがあります。喧嘩をしたわけでも、何でもないごく普通の状態で、それはやってきます。

それほど長い時間続くわけではないにせよ、何度か経験しているうちに、これはやっぱり何か変だぞと思うようになりました。

もしかしたら、それほど親しい人でなくても、それは起こる現象なのかもしれませんが、私の記憶ではやはり親しい相手の場合に限られているようです。

私はそれがやってきたときには、その感覚を逃さないように、なるべく静かにそれと向き合うようにしています。

そうすると、心の底から相手のことを知らない!というものがやってくるのです。そこで、ああ本当に自分は親しいと思っていたこの人のことを何も知らないんだと分かるのです。

どちらかと言うと、それはあまりいい気持ちの体験ではありません。相手に対する暖かな気持ちとは反対に、見ず知らずの他人を見ているような、冷たさがあるからです。

こうした現象が起こる原因は、きっとすべて自分の心にあるのだろうと分かります。つまり、親しいはずだと信じているその奥で、相手に対して閉ざしている心の部分があるということです。

それが、相手のことを知らないよ、と言い張るのだと思うのです。このことを感じていると、何だか悲しくなってきますが、事実なので受け止めるしかありません。

けれども、逆にこれまた不思議なことなのですが、こうしたことを含めて、相手のことを心の中に静かに置いていると、何だか暖かな気持ちがやってくるのです。

それで分かったのですが、自分と相手は親しいに違いないという思いを一旦脇に退けたうえで、相手をもう一度正直な気持ちで見ることが、大切なのではないかということです。

親しいということの奥に隠し持っている、閉ざしたハートを見つけることができたときに、その分だけハートを開くことができるようになるのだろうと思うのです。