閉ざしたハートはいつか必ず開く

幼くて無防備であった頃は、その子のハートは開いていたはずです。それだけに、そのときに負った痛手というものは、計り知れない傷を残してしまうのですね。

そうすると、一瞬一瞬を犠牲にしてまでも、生き抜いて行こうとすることが起きてきます。つまり、知らず知らずのうちに自己犠牲を強いる生き方を選ぶようになってしまうということです。

幼いころの決意というのは、本当に強烈なものであり、一度こうと決めたものはてこでも変えることができないくらい、頑なになってしまうのです。

なぜなら、その決意は生き抜くためのものであって、自分の命が懸かっているからです。それに比べて、大人になってからする決意の何と弱いことか…。

ハートが開いた状態では、通常は無邪気に、そして臆せずに自己表現をするものです。その心には、これっぽっちの邪心もありません。

けれども、それが親などの周りの大人たちからいつも受け入れてもらえるとは限らないのです。むしろ、根底から否定されてしまったと感じてしまう場合が多いのです。

その否定の中には、存在の否定とも受け取れるようなひどいものもあるかもしれませんし、肉体的な痛みを伴うための恐怖を感じることもあるかもしれません。

いずれにしても、開いていたハートは、間違いなく閉ざしてしまうことになるはずです。そして、そのことが度重なると、もう自分の力では開くことができなくなってしまうのです。

誰でも心を閉ざした経験を持っているはずですし、完全に開いた状態で生きている人の方が珍しいくらいです。

しかし、強い力で閉ざしてしまった人であっても、時間をかけて丁寧に、自分と向き合っていくことを繰り返していくことで、ゆっくりとではあっても、徐々に心を開いていくことができると信頼しています。

私たちには、そうした力が最初から備わっていると思うのです。諦めることはありませんし、必ず神の恩寵はやってくるのです。