人が真に成熟するとは

人が成熟していくということは、何かの経験を深めることでもなく、何かの結果を残すことでもありません。多くの知識を身につけることでもないのです。

それは、自己防衛を減らしていくということであり、それは自分の幸せを追求することではありません。自分が幸福かどうかと考える自己が希薄になることです。

守るべき自分への関心が薄れていくこと、あるいは真の自己への信頼が深まり、守るべき自分というものが本当はないということに気づいていくことです。

そのための決まった道があるわけではありません。何かの画一的な方法が用意されているわけでもないのです。

それは人の個性が千差万別であるのと同じように、人によって歩む道はまったく異なっていいのです。

ある人は芸術を通して、ある人は戦争などの混乱の世を体験することで、またある人は誰かに帰依することで、また奉仕活動によっても無私への道が開かれているのです。

また、最近ではそうした道を見出すよりも先に、いきなり自己の本質に目覚めてしまうということもあるかもしれません。

一方で自分の中にある立派なエゴを認識しながらも、自己の本質に気づきつつ生活が続いていくということもあるのです。

それは、歴史の中でも人類が初めて経験する貴重な時期にさしかかっているのかもしれません。すばらしいチャンスの時代に生まれたことを感謝したいですね。

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