可愛そうに負けないというモットー

随分前から自分の中で、「可愛そうに負けない」ということを一つの信念として生きてきたように思うのです。

それは裏を返せば、誰かのことを可愛そうと思ったら、その相手にとってより辛くなるようなことを言ったりやったりしないようにする、という自分がいるからでしょうね。

でも、相手のことを思ってという、一見思いやりのようにも見える自分の言動というのは、結局のところ自己防衛でしかないと気づいたのです。

可愛そうな相手に手を差し伸べるということを否定しているのではありません。それは、当然といえば当然のことです。

けれども、自分の本音を抑え込んでまで、自分の本当の意に反してまでとなると、これは自己防衛になってしまうということです。

可愛そうな相手を助けてあげられないばかりか、相手を余計に傷つけてしまう自分に我慢ができないだけなのです。

それは自己否定や罪悪感を引き起こし、それを味わいたくないがために自分を抑圧するという自己防衛に走るのです。

人の愚痴など本当は聞きたくないのに、聞いて欲しいと辛そうな人から頼まれてしまうと、いやといえずに延々と聞いてあげてしまうなどは、この典型例と言えます。

可愛そうに負けないというのは、可愛そうだと感じるその気持ちから決して逃げずにいるということです。その気持ちを払拭したくて、行動しようとするのをやめるということです。

そうしておいて、やってくる罪悪感を今度は正面から感じきるのです。そうやって逃げずにいれば、防衛よりも本当の思いを選択することができるはずです。

つまり、もうあなたの愚痴は聞きたくないと、はっきりと言うことができるようになるということです。それは、愚痴を聞いてもらえなくなったその人のためにもいいことだと分かるはずですね。